ビリー・グラハム牧師は、ある市民団体職員の質問に答え、完璧な牧師はいないが、クリスチャンが牧師を批判するのは「間違っており、神の目には罪」だと述べた。
息子のフランクリン・グラハム牧師が運営しているビリー・グラハム伝道協会のウェブサイトによると、「彼らの牧師を批判して楽しんでいるように見受けられる人がなぜいるのでしょうか」という質問が、96歳になるビリー・グラハム牧師に送られた。
「私は市民団体に属しており、他の教会に通っている友人が何人かいます。そして彼らはいつも、その教会の牧師の短所ばかり話しているようです。そのことについて、彼らに何か言うべきでしょうか」という質問があった。
「もちろん、完璧な牧師はいません。しかし、もし神が誰かを牧師として召命し、ある特定の教会で仕えるように送られたなら、牧師はそこでできる限りの方法で助けと励ましを得るべきなのです」と、グラハム牧師はサムエル記上26章9節の「主が油を注がれた方に手をかければ、罰を受けずには済まない」という御言葉を引用して答えた。
このことは、「たとえ牧師がその責任を無視したり、あるいは過ちを犯している時でさえも、いかなる時も牧師は批判されるべきではない」という意味ではないと、グラハム牧師は明白に述べた。
「しかし、ほとんどの教会はそのような問題に対し、役員会や教派組織などを通じて取り組んでいます。パウロはコリントのクリスチャンたちに、『しかし、すべてを適切に、秩序正しく行いなさい』と伝えました」と、コリントの信徒への手紙第一14章40節を引用して述べた。
「悲しいことに、私は牧師批判を楽しんでいるように見受けられる教会のメンバーを知っています。そして時に、牧師が変わってもそれを続ける人もいます」とグラハム牧師。「なぜそうなのかは全く分かりません。おそらく関心を引くためだけにしているのでしょう。しかし、どんな理由にせよ、それは間違っていて、神の目には罪なのです。教会に不和を生むだけでなく、神の御言葉の教えに対し、彼らが心と知性を閉じてしまっていることを意味するからです」
グラハム牧師は最後に質問者に対し、友人への対応について「牧師批判を避けるだけでなく、牧師個人を支援し助けるためにできる限りのことをするよう勧める」機会が与えられるよう祈ることを提案した。
「特に、牧師のために祈るようご友人を励ましてください。そしてまた、あなた自身の教会と牧会するスタッフのためにも祈り、彼らが真に『神の羊の群れを牧し・・・自ら進んで世話を』(ペトロの手紙第一5章2節)できるよう祈ってください」
2013年11月、ビリー・グラハム牧師は95歳の誕生日を祝った後、経過観察と肺の検査のために入院した。その時から、体調が悪化した。しかし、息子のフランクリン牧師は今年初め、ビリー・グラハム牧師の知性はまだ健常だと語った。