同志社大学院博士課程卒業式を欠席して、米国に残り復興支援への要請を行った筆者であるが、卒業式当日に学長が私の名を挙げて、今回の選択を受け入れかつ励ましてくれた。
その喜びを胸に、筆者は1週間遅れの帰国を果たした。喜びはあったが、日本の状況を初めて日本のメディアから聞く機会を得たことで、やはり現実の厳しさを実感したことを覚えている。とはいえ、無事に帰国できたことと、大きな手土産(クライストチャーチクワイアが5月と9月に来日すること)があったため、比較的短期間で立ち直ることができた。
後日、友人から下記のような動画が送られてきた。確かに2011年度の神学部卒業式の模様であり、私のことに学長が触れている場面である。
帰国してすぐ、私は同志社大学の学長室を訪れた。式を欠席したことへの謝罪と、復興支援要請の結果を報告するためであった。大学院修士課程から6年間通っていた大学であったが、学長室に通されるのは初めてであった。
八田英二学長とは、短いながらも密度の濃いお話をさせていただいた。うれしかったのと少し恥ずかしかったのは、学長が「同志社人として」というフレーズを幾度かお使いになって、私の決断を褒めてくださったことである。
「~人」という言い回しを大学に使う風習が同志社にはあるようである。私にはこれがどうしてもなじめない。しかし、相手からそう言われると、これが決して悪い気がしない。尊敬する新島襄に少しでも近づけたような気がして、素直に感動したのであった。
それから間もなくして、神学部事務室から1通のメールが届いた。それは神学部長が私1人のために、卒業式を挙行してくださるというものであった。3月27日、私たちの教会では、博士号授与記念祝賀会を開催することになっていた。そこに神学部長がおいでくださり、しかも同志社ガウンまで持ち出して、私に卒業証書を授与くださるという内容であった。
事務の方にお伺いしたところ、同志社ガウンは式典専用の着衣であって、原則は門外不出であるとのこと。しかしその禁を犯して、学外へ持ち出してくださることを許可してくれたのであった。
「これは奇跡ですよ」とは、メールを下さった方の感想である。私もそう思った。天変地異にも似た出来事が、既存の枠をいろんな場面で壊し始めている。守らなければならないこともあるが、今までの形式を乗り越えて、その実を享受できる世界も生み出されつつあるのだ、と実感できた次第である。
そして迎えた3月27日。私にとっては忘れられない1日となった。朝はイースター礼拝。そして午後からは祝賀会であった。関西近郊の牧師仲間、大先輩方が集まってくださり、それぞれ数分のスピーチを下さった。その数15人以上。スピーチだけで優に1時間を超えた。一番心に刻まれたのは、やはり指導教官の森孝一先生。森先生はこうおっしゃられた。
「私はビリー・グラハムを1度だけ見たことがある。彼のガウンには、学位のライン(博士号授与だと3本線)なんてなかった。でも、それを補ってさらに上回るオーラが出ていたよ。これこそ本物だ、とその時思った。青木さんは確かに博士号を手にした。でもね、そんなもの関係ない、というくらいの働きを期待しています。ビリー・グラハムのように!」
この言葉は、今も私の中で生きている。確かに「青木博士」と言われることはある。しかし敬称(博士)に負けない働きをすることで、ここに集まってくれた皆さんに応えなければ、そんな思いを新たにした瞬間であった。
考えてみると、震災以後の怒濤(どとう)の展開は、今までの私の人生にはあり得ないことばかりであった。海外へ学会発表に行くなんて思いもよらなかったし、旅程を度外視して復興支援協力を要請して米国の教会を回るなんて、夢にも思っていなかった。そもそもそんな大地震が日本に起こるなんて、想定できなかったことである。
ここまでを振り返ると、まさに神の導きのまま振り回されてきたとしか言えない。だが、その歩みの中で、数々の「奇跡」を体験することができた。
まず、ナッシュビルでアポなし突撃の結果、クライストチャーチがクワイアを送ってくれること。私の卒業式で、異例とも思われる学長のスピーチで、「不在の在」を示す結果となったこと。同志社大学がガウン持ち出しを許可し、しかも私個人のために卒業式を計画してくれたこと。結果的に教会の皆さんと友人先輩の牧師仲間の前で、今までのお礼を申し述べる機会が与えられたのである。これぞまさに「神の導き」である。
感動に打ち震えながら、翌月には仙台市へ赴いた。実際に現地でどんな必要があるか、そもそも音楽を聴いてもらえるような状態なのか、について調べるためであった。結果いろいろな方との出会いもあり、5月のクライストチャーチクワイア来日に大きな弾みを得ることになった。
そして5月、ナッシュビルから来日メンバーが届いた。合計6人。しかし、こちらが期待していたものとは少し異なっていた。ピアニスト、その奥様、トランぺッター、シンガー、写真家、そして音楽学校の校長・・・。実質ミュージシャンはピアニストとトランぺッター、そしてシンガーが1人。「これで何やるの?」という声が、このメンバーを見たゴスペル仲間から上がった。
確かに先発隊として、日本の状況を知ってもらってその後に本体が来るようにしてほしいとお願いしたのは私である。しかし想定していたのは、6人全員がミュージシャンであった。「大丈夫か?」そんな思いが込み上げてきた。
だが、これはさらなる奇跡の始まりにすぎなかったことを、後から私たちは知ることになるのであった。(つづく)
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