来日したクライストチャーチのメンバーは6人。ピアニストのクリストファー・フィリップス、シンガーのモリース・カーター、トランぺッターのリーフ・シャイア、ここまでは分かる。加えて広報担当のフォトグラファー、ジョシュア・マクリード。彼が広報担当ということなら、必要な人選であろう。
しかし、後の2人は不可解だった。ピアニストのクリストファーの奥さんアマンダ(家族で日本体験がしたかったというなら、何とかギリギリ分かる)、そして、音楽学校の先生をしているというウェイン・ヒルトン。彼に至っては、別に何をするということもなく、ただほほ笑んでいるだけだった。
来日は6人だが、残りの3人は表舞台には立たないという。このメンバーを見たときの私たちの感想は、「このメンツ(たった3人)で何ができるのか?」であった。しかし、この考えがまったくの的外れであったことが、やがて分かるようになっていく。
彼らが奏でる音楽は、今まで私たちが聴いてきたどのサウンドとも異なっていた。それでいて、とても懐かしさを感じさせる心地よさがあった。その大きな要因の1つとして挙げられるのは、彼らの教会のルーツが当時の京都の教会のそれと同じだったことである。
私たちが教会で慣れ親しんできた讃美歌、聖歌、CCMを彼らも知っていた。だから同じ楽曲を日本語と英語で歌うことができたのである。そう考えてみると、音楽は本当にすごい。国境を越え、人種を越え、さらに世代をも越えて共通の輪を創り出す。
来日2日目に行われた水曜祈祷会では、集った多くの者が感動を覚え、涙した。異国の自然災害の報を受け、復興支援に協力しようと太平洋を渡る決断をしてくれた彼らに、あらためて感謝の念が湧き上がってきたのである。
この日から怒涛の10日間が始まった。「ナッシュビルのミュージシャンたちとゴスペルを歌いたい人、大募集!」と声を掛けたところ、予想外に多方面から多くの方々が集まってくれた。また、チャリティーコンサートの会場を知り合いの各教会に打診したところ、ほとんどが快く会場提供をしてくれた。舞台は整った感じである。
チャリティーコンサートの会場は、京都、大阪、金沢、そして東北にまで及んだ。特に東北は南三陸の歌津中学校へ出掛けて行った。この中学校は、最も津波被害の大きかった所であり、いまだに家族や兄弟の安否が分からない学生たち、地域の方々が大半であった。
小型バスで到着した私たちがまずびっくりしたのは、体育館にうず高く積まれた日用品の品々と、申し訳程度にマットレスで仕切られた間取りであった。体育館の中に、本当に100人以上の方々が生活していたのである。彼らを前にして、クライストチャーチのメンバー、加えてボランティアの日本人急造クワイアは30分ほど歌った。最初はうつろな目を向けていた被災地の方々であったが、次第に気持ちの入った拍手が所々で沸き起こるようになってきた。
ミニコンサートの後半部分、有名な「驚くばかりの(アメリジング・グレイス)」と、彼らが日本の被災地のためにと選曲した「ヒーリング・ハズ・ビガン(主の癒やしが今)」を歌ったときのこと。体操座りをして聞いていた女子中学生の何人かが涙を流し始めた。さらに、高齢の方々が顔を手で覆い、何かつぶやく姿が見受けられた。
コンサートの後、私たちが身支度をしていたときのこと、1人のお婆さんが近寄ってきた。そして「あの、今歌ってくれた外人さんと話したいんだけど」と言われた。私は早速、モリース・カーターを呼んできた。彼はアフリカ系アメリカ人で、しかも岩のように大きな体であったため、目の前に立ったお婆さんはまるで子どものようであった。
彼女はこんな話をしてくれた。「私は津波で主人と息子を失いました。親戚もまだ行方不明です。生活が一変してしまった。もう絶望で、ただ海ばかりを見ながら、息を吸って、吐いて・・・ただぼんやりと生きてきました。でも今日、あなたの歌、ほらあの有名な賛美歌?(アメイジング・グレイスのこと)を聞いたとき、なんか、希望持って生きようと思えました。今日はありがとう・・・」
この内容を、拙い通訳であったが私は必死でモリースに伝えた。彼はこれを聞きながら涙を流し出した。そして彼女の手を取り、祈り始めたのである。そこで3人で輪になってしばらく祈るひとときを持った。もちろんこのお婆さんはクリスチャンではない。でも同じような思いで、いまだ想像したこともない「キリスト教の神様」に心を向けていた。そして何度も手を合わせながら、私たちの前から去っていったのである。
歌のうまい下手ではない。もちろん、彼の歌とクリスのピアノ、リーフのトランペットは特別な響きである。だから音楽的に素晴らしいことは分かる。だがそれを越えるもの、ゴスペルという音楽だからこそ伝えることのできる本質が、はっきりとした形で私たちの前に提示された瞬間であった。
日本では、多くのゴスペルフリークが存在する。それに対してキリスト者たちは「本物のゴスペルは、クリスチャンにならないと分からない」とうそぶく。しかし、その物言いがいかに傲慢(ごうまん)で、ゴスペルの本質からズレたものであったか、この歌津中学訪問の体験を通して私は教えられた。
そしてこの時、1つのフレーズが私の心に生まれた。それは「from gospel to Gospel」である。音楽として、歌としてのゴスペル(gospel)を歌うことが、実はその本質である神の福音(Gospel)を最も人々の前に分かりやすく提示することになる、という逆説的な表現である。
でもこういったことが本当にあるということを、私はこの時に体験した。このキャッチフレーズは、それから数年後に立ち上げることになるJAG(Japan Association for Gospels)で結実することになるのだが、それはまだ先の話となる。
歌津中学を後にした私たちは、そのまま仙台市内へと向かった。それは、市内で最も人通りの多い場所で、ストリートコンサートをするためであった。(つづく)
◇