震災の報に触れ、日本への支援を何とかお願いしようと思い訪れたナッシュビルのメガチャーチ、クライストチャーチ。しかし、扉の所に立った途端、筆者は今日が月曜日であることを思い出す。とんでもない誤った方向に私は進もうとしているのだろうか? そんな思いを押し殺して、教会のブザーを押した。
やがて女性の声で「何かご用?」と尋ねられた。ホストファミリーのチャンさん夫妻が同行くださったので、事情を話してもらった。とても自分で話せるような心境ではなかったからである。チャンさんは二言三言ドアホン越しに話をし、すぐに上に上がるよう私に指示した。玄関は自動でロックが外れた。
私は重い足取りで中へ入った。そして階段を上がり、指定された部屋へと入っていった。そこに待っていたのは、私よりも確実に年の若い青年であった。彼は「渉外担当牧師」だと名乗り、私に席を勧めてくれた。名前はオースティン・ケイグル先生。なかなかのイケメンである。
私が席に座ると彼は「どういったご用件で?」と尋ねてきた。私は、内側からマグマのような熱いものが込み上げてくるのが分かった。そして思いのたけを拙い英語を駆使しながら伝え始めた。
今振り返っても、一体自分が何を言ったのか、あまり覚えていない。ただ何度も「Please Help Japan !(日本を助けてください!)」と叫んだことだけは覚えている。そして、もし話が弾んだときに手渡そうと思っていたコンサートDVDを差し出した。これは、京都の教会で行われていたクワイア活動の中で、クライストチャーチの楽曲を歌ったコンサートの模様を収録したものであった。当初は「何か話のネタになれば」という軽い気持ちで編集した10分程度のものだった。
差し出されたDVDをさっそくデスクのパソコンで見てくれたケイグル先生は、数分見ただけでそのディスクを取り出した。そして「ちょっと待っていてください」と言い残して、10分くらい帰ってこなかったのである。私は何が何やら分からないまま、深く椅子に座り直し、彼が帰ってくるのを待つしかなかった。
やがて向こうから声がしてきた。どうやらもう1人男性がこちらに向かっているようであった。ケイグル先生は部屋に入ってくるなり、背後にいた男性を私に紹介した。「こちら、クライストチャーチのワーシップ・ディレクターのクリストファーさんです」と。これが私とクリストファー・フィリップスとの出会いであった。
部屋にやって来たクリストファー(以下、クリスと記す)さんは、何やら早口でケイグル先生と話をし、私たちのクワイアのDVDをまじまじと見つめた。そして「私の部屋に来ませんか?」と誘ってくれたのである。「これは体のいい『たらい回し』か?」とも思ったが、こちらもいきなり訪ねてきているのだから、文句は言えない。ただ彼に従って、クリスさんの部屋に行くしかなかった。
クリスさんの部屋は、デスクの隣にキーボードが置かれていた。明らかにミュージック関係の仕事をしていることが分かった。彼は「そのDVD、見せてもらっていい?」と尋ね、自分のパソコンのトレイを引き出した。そして興味深げにコンサートの様子を見始めたのであった。途中頭をリズミカルに振り、足や手も次第に規則正しく拍を刻み始めた。私は「気に入ってくれたのかな?」と仄(ほの)かな期待を持った。
時間にして10分少々。最後まで見てくれたクリスさんは、ひと言「Great(すごい)!」と言って、ディスクを取り出した。そして「僕たちの曲を自分たちの国の言葉で歌ってくれるなんて、とても光栄です」と喜んでくれた。私はそこでも「日本を助けてください」とか「コンサートを被災した地域でしてほしい」とか、とにかく思いつく限りの英単語を並べて、訴えた。
とその時、1本の電話が部屋に鳴った。内線でクリスさんにかかってきたようだ。彼は電話口でまたまた早口な会話をし、驚いた表情でこちらを見てこう言った。
「主任牧師が突然教会に来られたらしい。ぜひあなたに会いたいと言っています」
詳しく話を聞くと、本来来るはずのなかった主任牧師のダン・スコット先生が突然教会に現れたとのこと。先生は「神様から祈るように促しを受けた」らしく、特に「日本のために何ができるか、祈ろう」と思って祈祷室にやって来たという。スタッフとの会話の中で、この教会に今、日本人牧師が来ているということを知り、ぜひ会いたいとなったのであった。
私は話を聞きながら、震えが止まらなかった。「今日、このタイミングでなければならなかったのだ!」そう思えたからである。自分が神様から頂いたと思っていた方向性は、確かなものであると、この時確信できた。
ダン先生のお部屋は、さらに上の階にあった。入っていくと彼は満面の笑みを浮かべ、私を歓迎してくれた。そして日本の惨状が1日も早く回復することを願う、と言葉を継ぎ、私にあらためて「何をしてほしいと思ってここに来られたのですか?」と尋ねられた。
わずか1時間足らずの間に3回目である。リハーサルをすでに2回済ましているようなものであったため、今回は意外に冷静に自分の願いを訴えることができた。ダン先生はその話を聞いてくださり、私が語り終えるのを待って、そっと手を握ってくれた。そして「これは聖霊の導きの中での出会いです。私は今日、あなたが来てくれたことを、心から神に感謝します」と語った。私の目から大粒の涙がこぼれた。
見るとダン先生の目にも涙が浮かんでいた。彼はおもむろにこう言った。「あなたの願いを受け止めます。私たちはクワイアを日本に派遣します。あとどんなことを願いますか? できる限りのことをさせていただきます」
私は思わず「2回来てください。1回目は視察で、2回目にできる限りのメンバーでお願いします」と伝えていた。これはこの時思いついたアイデアであった。
ダン先生は「分かりました。では2回送りましょう」とにっこりほほ笑んでくれた。
しかし、その後に投げ掛けられた問いに、私は全身の血が引いていくことになるのだった。ダン先生はこう続けた。「次の日曜(3月20日)、ぜひ礼拝で皆さんの前で今おっしゃられたアピールをしてくださいませんか?」と。
3月20日、これは私にとってとても大切な日であった。それは他でもない。同志社大学大学院神学研究科博士課程の卒業式が行われる日だったのである。もし私が「イエス」と答えるなら、私は帰国を断念し、卒業式を欠席しなければならない。しかし、ここで私が「ノー」と言うなら、この話もどうなるか分からなくなる・・・。話の流れからも、ここはしっかりと相手の手を握って、目を見つめて「イエース!!」と言わなければ、今までの熱弁がうそになってしまう!
緊張から解放され、歓喜を味わった。しかし、最後に投げ掛けられた言葉で、私は再び自分がとんでもないことをしようとしているのではないか、という思いにとらわれてしまったのである。
私は貼り付いたような笑顔で、でも精いっぱいその動揺を悟られないように「イエス」と答えてしまったのだった。さて、これからどうしたものか・・・そんな絶望的な気持ちのまま、私はクライストチャーチを後にしたのである。(つづく)
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