隣国である朝鮮半島には、何十年も昔に全く本人の意思に反して、時に暴力で、時に言葉巧みにだまされて、日本から北朝鮮の地に連れ去られた人たちが大勢いる。いわゆる拉致被害者だ。
2002年に小泉政権は初めて北朝鮮に渡り、最高司令官である北のトップ故・金正日(キム・ジョンイル)自ら拉致を認めさせ、謝罪にこぎつけた。結果、5人の被害者を帰国させることができた。
日本中が固唾(かたず)をのんで見守る中、悲願であった5人の帰国を実現。それは大きな喜びであった。しかし、その中に横田めぐみさんらの姿はなかった。めぐみさんは、拉致問題のシンボル的存在だ。「救う会」の会長を20年務め、学者として朝鮮半島問題と正面から向き合っている西岡力(にしおか・つとむ)氏に、拉致問題について語ってもらった。
西岡氏と「救う会」 発足のエピソードについて
「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会」(以下、「救う会」)は1998(平成10)年4月に、前年から家族会とともに活動していた各地の拉致被害者救出運動団体の集合体として発足。それ以前に、当時、西岡氏が編集長を務めていた月刊「現代コリア」(1961年11月創刊~2007年11月休刊)が「13歳の少女が北朝鮮に拉致をされたという情報がある」という論文を掲載した。
「現代コリア」は韓国・北朝鮮問題専門雑誌。論文は、ある放送局の記者が韓国情報当局から入手した情報をもとに書いたものだったが、この時点で1970年代後半日本海側から拉致というところまでしか特定できなかったという。「現代コリア」の元所長が新潟県出身で「13歳の少女横田めぐみさん行方不明」のポスターが県内で貼られていたことを記憶しており、96年12月に県内で講演会をした際、懇親会でそのことを話し、参加した新潟県警関係者がそれを聞いて「めぐみちゃんは生きていた」と話したことから拉致が発覚した。
西岡氏と拉致問題との関わりについて聞いた。「僕は1991年に日本の学者として初めて、『日本人拉致』について論文を書き、1990年に訪朝をした『金丸訪朝団』について、早急な日朝国交正常化はいまだ多くの拉致被害者が戻らない中、反対であるというキャンペーンを実施しました」
1977(昭和52)年11月15日。日本海に面した新潟の町で、1人の女子中学生が忽然(こつぜん)と姿を消した。彼女の名は横田めぐみさん(当時13歳)。いつものように登校し、元気に帰宅するはずだった彼女は、その日、自宅へ戻らなかった。めぐみさんは北朝鮮の工作員によって拉致されたのだ。
当時は「新潟市で女子中学生が行方不明になった」という報道はあったが、まさか北朝鮮に拉致されたとは誰も知らなかった。
実名報道をするべきか・・・当時の葛藤
ここで西岡氏は1つの問題に直面する。「僕は学者なので、研究をする立場ですから、救出する運動に関わるかどうか、当初は迷いました。でも、横田さんたちが北朝鮮の拉致情報を入手し、悩んでいる姿を見たのです」。実際に何を悩んでいたか。それは、めぐみさんの実名を出すかどうかということだ。
当時の外務省や警察は、実名報道に及べば、証拠隠滅のために被害者の身に危険が及ぶと懸念していた。
この時点で、他の被害者家族も同様に名前は伏せていたという。しかし、時間ばかりが過ぎていく。また、他の被害者家族としては、危険というからには日本政府が秘密裏に交渉を進め、すぐにでも救出してくれるに違いないと信じていたという。
横田めぐみさんの両親はそのような状況の中、もし実名を出さなければ「拉致をされた疑いのあるYさん」と報じられてすぐ忘れられてしまうのではないかと考えた。めぐみさん家族は大きな決断をする。一定のリスクを承知の上で、実名の公開に踏み切ったのだ。横田さんたちが懸命に訴える姿を見た西岡氏。「共に活動をしよう」、そう決意したという。
1977年3月に被害者家族は、家族会(北朝鮮による拉致被害者家族連絡会)を立ち上げた。同年に家族会を支援する救う会(北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会)ができた。西岡氏は、当時からのメンバーの1人で現在は会長を務めている。来年の3月で創設20年目を迎える。
拉致問題に対する政府、マスコミとの温度差
これだけ深刻な問題だけに、政府もすぐに動いたのではないかとの問いに対し、「当時は、ほとんど無視に近かったです。家族会を作る前から孤独な闘いをしていた有本恵子さんの両親が外務省に出向いても、よくて課長補佐が出て来るかどうかでした」
西岡氏らの働き掛けで、当時の新進党・西村真悟議員(現:日本のこころを大切にする党)が国会で横田めぐみさん拉致について初めて追及したことで、政府も動き始めていく。当時は、若手だった安倍晋三氏(現首相)や故・中川昭一氏くらいしか拉致問題に関心を示さなかったという。
マスコミも「拉致疑惑」程度の扱いだった。民放の番組に何度も出演し、拉致問題についてコメントをしている西岡氏だが、2000年に印象的だったエピソードについて語ってくれた。某民放深夜討論番組で北朝鮮拉致問題について出演する予定だったが、突如、制作側から西岡氏に出演のキャンセルが入ったのだ。理由について「総連側が、番組で西岡氏とは、同席したくないと言っている」という内容だった。当時総連は、拉致はないと言っていた。テレビ局は拉致があるという西岡氏を下ろして拉致がないという勢力だけを出演させた。西岡氏はこの行為を言論の封鎖として厳しく世論に訴えている。
2002年、激震が走る 北朝鮮ついに拉致を認める
2002年までは、北朝鮮が逆にメディアで有利な立場となり、思うように世論が動かないこともあった。しかし、突如として事態が急展開を見せる。小泉純一郎首相(当時)が訪朝し、最高指導者である故・金正日に拉致を認めさせたのだ。会談で故・金正日は謝罪にも及んでいる。
なぜ、北朝鮮が拉致を認めたのか。当時の国際情勢や脱北者の証言から以下のような理由があると西岡氏は語る。
1つは、米国の強い圧力が背景にある。2011年9月11日、米国で同時多発テロが発生し、それ以降、米国はテロとの戦争を宣言。2012年1月有名な演説でブッシュ大統領(当時)は北朝鮮、イラク、イランを名指しで「悪の枢軸」と強烈に非難した。西岡氏によれば、この演説は一定の根拠があるという。
11年10月に米軍はアフガニスタンでテロ組織「アル・カーイダ」の大規模な掃討作戦を展開。軍事作戦はまずパキスタンから部隊を進行させている。当時のパキスタンは核保有国であり、なんとしても、その核が同じイスラム教徒のテロリストの手に渡らないようにする必要があった。彼らが核を奪いニューヨークで使用する可能性があったからだ。米軍がどれだけ作戦実行に躍起になったか、うかがい知ることができる。
米軍は徹底的に調査を進める中で、リビア、イラン、北朝鮮にパキスタンの濃縮ウランの生産技術が提供された事実を突き止めたという。広島市に投下された原爆はこのウラン型。長崎市に投下された原爆はプルトニウム型だ。1990年代初め、米国は北朝鮮に対して、自国でのプルトニウム生産を凍結するよう圧力を掛け、凍結の見返りに毎年50万トンの原油を提供していた。
しかし、北朝鮮はこの約束を破ってパキスタンから濃縮ウランの生産技術をもらい秘密裏に核開発を進めていたこととなる。この行動にブッシュ政権は激しく憤り、「悪の枢軸」と非難したのだ。このままだと、イラク戦争のように本気で北朝鮮に対する軍事攻撃もあり得ると示した。
もう1つは、米軍による極東での軍事行動には日本と韓国の協力が絶対に必要である。北は米国から日本を切り離す手段として、故・金正日が拉致を認めるという譲歩に踏み切ったのではないか。まさにアメとムチの道を自ら設定してきたことになる。
西岡氏は、「外務省は表向きに否定しているが、小泉訪朝時に被害者を帰国させる代償に1兆円(100億ドル)の経済支援を約束した」と語る。第1次・安倍政権で当時の交渉記録を首相が確認したところ、2回分の記録がなかったという。北は経済援助を日本が約束したと認識しているので、米国から引き離し、金も出る。これは賭けてみるしかないと判断したと分析する。
戻らなかった被害者たち 北が提示した偽りの報告書
小泉訪朝後に北朝鮮から5人の被害者たちが日本へ帰ってきた。しかし、戻らない人たちがいたのだ。全員帰国ではなかった。北朝鮮の調査の回答は「拉致被害者は13人しかいない、めぐみさんたち8人は死亡、生存5人は帰国させたから拉致問題は解決した」という衝撃的なものだった。
金正日は、死亡の8人について2004(平成16)年5月に小泉氏が2度目の訪朝をしたとき再調査を約束したものの、提出した遺骨や証拠品は全て偽物であることが判明している。西岡氏は本当に驚いたと言い、「あれは外務省が交渉で大きなミスを犯した」と指摘し、その経緯について追究した。
外務省は北との交渉の席で、毅然(きぜん)として「被害者を全員返すよう」に要求をしなかったというのだ。驚くことに「拉致被害者の消息情報さえ出せば良い」と告げたとしている。その結果、5人は帰国したが、全員は戻らなかった。北側から「死亡している」と書面が渡された報告結果に対し、政府として精査をすることなく吉報を待ちわびる家族たちに「死亡しました」と説明したという。
西岡氏はあまりにずさんな政府対応に怒りを隠さず「北が死んでいると勝手に言ったことを、『政府として、一切事実確認はしていません』と報告をするべきだった」と振り返る。西岡氏も家族もその時はまさか政府が確認せずに家族に「死亡」通告をすると思わなかったという。当時の家族会の無念や喪失感は計り知れないものだったはずだ。
同時に西岡氏は嫌な予感もしたという。北の報告書にある「死亡の時期」が自分たちの運動後であれば、北が処刑をしたのではないか。本当にヒヤリとしたと、当時の緊迫した様子を語ってくれた。家族らが、外務省が死亡を確認していないという衝撃的事実を知ったのは、翌日朝、訪朝に同行した安倍晋三官房副長官(当時)が家族の泊まっているホテルまで来て、平壌で死亡を確認する作業をしていないという事実を教えてくれたときだった。
家族たちが、涙を流しながら会見に臨んだ姿は記憶に新しい。共に会見に臨んだ西岡氏は、横田めぐみさんの母である早紀江さんの姿が印象に残っているという。早紀江さんはクリスチャンだ。「1人マイクを握り、毅然と会見に臨んでいました。『人は誰でも使命を持って生まれてきます。濃厚な足跡を残していったのだと思いますが、信じられません。まだ戦っていきます。祈ってくださる皆さんに感謝します』」
なぜ、このように力強く訴えることができたのだろうか。早紀江さんは西岡氏に言った。「西岡さんはいつも金正日が見ている、と言ったではありませんか。負けたら思うつぼです!」
毎月、教会で祈り会を行う早紀江さん。愛する娘の帰国を一体いつまで待たなければならないのか。北が示した虚偽の報告書に証拠品。これは逆に、北朝鮮の地で生きて救出を待っている、そう証明した形になるのだ。非道な北の政策に憤りを隠せない。
北朝鮮が企てた外国人拉致
そもそも、この外国人拉致はどのようにして始まったのだろうか。韓国人、日本人が一番多く拉致をされているが、他国でも被害者が出ている。データによれば、確実に分かっているだけで、韓国、日本、タイ、ルーマニア、レバノン、マカオの6カ国。可能性の疑いがある国は、マレーシア、シンガポール、ヨルダン、フランス、オランダ、イタリア、アメリカの7カ国だ。世界中で被害が起きていることが分かる。
1976年に故・金正日が拉致命令を出す。後継者として権力を掌握したのが74年。権力を確たるものにするため、腹心の部下を軍や党、政府に送り、古い幹部を吊し上げて絶対忠誠を誓わせた。拉致などを行うスパイ工作機関は軍ではなく党の管轄で、そこでも強い引き締めを行ったという。
それまでは韓国の漁船を襲撃して拉致し、北朝鮮でスパイ教育をして韓国へ送り込む方法が主流であったが、大きな成果を出すことができなかったことから、最高指導者が引き締めに乗り出したのだ。考えてみれば非常に恐ろしいことだ。
金正日はエリートを徹底して現地化教育し、精鋭の工作員として送り込むべきだと命じる。ある者は日本人に化け、ある者は中国人に化けて。この教育のために各国の現地人を連れてくる必要があったのだ。金正日は76年に長い演説を行い、その結果、77年と78年に世界中で一斉に拉致が行われた。
韓国を共産化させる目的 金賢姫と大韓航空爆破事件
北朝鮮の目的はどこにあるのか。西岡氏によれば「韓国を北朝鮮主導で南北統一し共産化、北朝鮮化させること」だという。最も分かりやすい例が、1987年11月29日に仕掛けられた爆弾により空中で爆破し115人全員が死亡した大韓航空(KAL)爆破事件だ。
このテロを実行したのは北朝鮮の工作員である金勝一(キム・スンイル)と元実行犯である金賢姫(キム・ヒョンヒ)さんだ。2人はほぼ完璧な日本語を話し、名前を蜂谷真一、蜂谷真由美と偽装した日本パスポートを所持。中東旅行をしている親子を演じた。バクダッドから搭乗しアブダビを経由した際に2人は飛行機を降りた。目的地は韓国。多くの出稼ぎ労働者たちを乗せたKALは2人が仕掛けた電池式爆弾により爆発。乗客全員が命を落とした。
KAL機がレーダーから消えた後、捜査員はアブダビで降りた不審な日本人に目を留めた。2人はすぐに手配され、空港で身柄を確保。あらかじめ2人は捕まったら自殺をするよう教育を受けており、「タバコを一服させてください」と青酸カリが仕込まれたタバコを噛んで自殺を図った。その結果、金勝一は即死。金賢姫さんは奇跡的に一命を取り留めた。
死刑判決を受けた金賢姫さんだが、恩赦で釈放。彼女はその後、メディアに登場し北朝鮮の実態や拉致被害者についても証言を行っている。後に拉致被害者の田口八重子さんから日本人教育を受け、孔令譻(こうれいいん)さん(マカオ出身・拉致被害者 Hong Leng-ieng)からは中国人教育を受けたことを告白した。
西岡氏は北の非道な手口をこう解説する。「アラブには、日本赤軍がいたのでKALの爆破は蜂谷という日本人の親子が犯人だと仕立てることができたのです」。十分に可能性がある話だ。世界中に日本人が犯人だと知らしめれば、北にとって自国でテロを実行しながら他国のせいにできる絶好のチャンスだったわけだ。
この時、韓国ではソウルオリンピックを控え、ここで日本人が韓国人を殺したとなれば、日韓関係は最悪な状態に陥り、経済も不安定になる。さらには、韓国国内で激しい反日運動が起き、日本人選手団が日の丸を持って入れなくなるという可能性があった。
この混乱に北が介入すれば、北朝鮮主導で祖国統一が現実味を帯びていたかもしれない。金賢姫さんは韓国の地でキリスト教を信じクリスチャンになった。今日まで北はこのテロを一切事実無根とし認めていない。金賢姫さんが神に生かされた意味は分かるような気がする。
西岡氏は、彼らの主張する共産主義は昔も今も基本的に不変だという。目的のために手段を選ばない。自分たちが一番正しく、神をも否定する。ここが最も怖い点だ。最初は善意で平等主義を訴えても、拉致も含めテロ行為を正当化していく、そこが恐ろしいと述べた。
他国の拉致被害者はどうやって帰国できたのか
海外で帰国できた被害者はどのようにして戻れたのだろうか。日本人ばかりに目が向くが、他の国ではどうなのだろうか。あまり知られない角度だ。
海外の拉致被害者で帰国できた人はいる。レバノン人の女性4人で、そのうち1人は帰国前の曽我ひとみさんと暮らしていた人がいる。彼女らは、レバノンのYWCA専門学校で秘書教育を受ける学校へ通っている最中に、日本人を名乗るビジネスマンが来て日本での職業紹介を受ける。
到着した地は東京ではなく北朝鮮の首都「平壌」だった。78年のことだ。その後、2人が海外に出たとき監視をのがれて逃げ、それで拉致を知ったレバノン政府が強力に抗議して残り2人を救い出した。しかし、そのうち1人は帰国時に妊娠していたため、再び夫である脱走米兵が待つ北朝鮮に戻った。タイ、ルーマニア人、このレバノン人の女性は曽我さんとジェンキンス氏(過去に軍隊を脱走し北に亡命を図ったとされる人物:新潟県佐渡島在住)と同じアパートで暮らしていた。西岡氏は各国で家族会を立ち上げるなど精力的に救出に携わっている。
横田めぐみさんが帰国できない理由
では、帰国できた人、できなかった人の差はどこにあるのか。西岡氏は「秘密を知っている度合いが明らかに違う」と語る。田口八重子さんは金賢姫さんの教師であり、めぐみさんは金淑姫(キム・スッキ)という工作員に教えている。さらに、めぐみさんらは、他の対日工作員を教えている可能性も十分にあるため、日本に潜入しているスパイの名前や素行を知っていると考えれば、北朝鮮が早々に手放すわけがない。
他にも金賢姫さんの証言で、田口八重子さんは故・金正日の秘密パーティーに呼ばれており、彼の素顔を見ているという。こうなると、北では神格化され絶対的な存在が崩れてしまうことになる。「実は韓国の歌謡曲を歌っている」、そんな話もあるので、北には明かされたくない事実があるのだろう。
北朝鮮は国民がどうということでなく、金ロイヤルファミリーが神であり全てである。ここまで独裁者が国家で神格化されている国は、世界的にも見てもまれだといえる。
西岡氏が握っている情報によれば、横田めぐみさんは金正恩(キム・ジョンウン)の日本語教師を1年間していたという話がある。金正恩が日本語を過去に勉強していたことは確実だという。テレビでもおなじみとなった北朝鮮の元料理人・藤本健二氏(仮名)に正恩が漢字の日本語の読み方を質問してきたことがあるという。その先生がめぐみさんであるという情報があるというのだ。
故・金正日の妻で在日朝鮮人として大阪で生まれた高英姫(コ・ヨンヒ)は現政権の金正恩の実の母だが、彼女の出身が日本で親日という事実は一切公表されておらず、そのような話が国民に知られれば神格化は総崩れする懸念がある。北朝鮮が虚偽の報告をする背景には、何が何でも知られたくない秘密があるのだろう。
西岡氏が唱える帰国プロセス
西岡氏は最近、産経新聞の正論のコラムや集会での講演などで、「被害者が帰国したら彼らは犯罪者でもなければ、公務員でもない。だから北に拉致をされていた十数年について何を話すか、どういう生活をしていたのかは彼らの意思を尊重する。静かに暮らし、政府が主導して反北のカードの先頭に立たせることはしない」、このような約束を北朝鮮側に提示して交渉を進めるべきだと主張する。
西岡氏はこれだけは譲れないという思いがある。「だた、1つだけ帰国した人たちに『救う会』から聞く。日本人を見ていませんか? 本当にこれで全員ですか?」。これだけは絶対に聞く。北が恐れていることは全員が帰国して、その被害者を使って反北運動を行われることだ。それについては安倍政権とも意見交換をしているという。
西岡氏の言葉は強い。「われわれは北朝鮮が死んだと通告してきためぐみさんたちが確実に生きている証拠を持っている」。内閣官房の拉致問題対策本部事務局のサイトでは、日本語以外の8カ国語で北の主張に全て反論する政府回答とその証拠を掲載している。
北が提示した死亡診断書は名前の欄が白塗りで誰のものか分からない。事故検証の書類は場所の写真すらない。8人の遺骨と称するものは、DND鑑定で被害者とは全く関係がないものであることを断定している。
報告書には、めぐみさんは93年3月に亡くなったとされるが、帰国した蓮池薫さんは94年4月まで一緒に住んでいたと証言をしている。その点を北に厳しく追及したところ「慌てて作成したので間違えた」「そもそも、彼らに死亡診断書はない」という驚きの回答だった。
これを受けて西岡氏は「結果的に偽装を認めたことになる」とし、次のような言葉で断言した。「何よりの証拠に複数の生存に関する情報があるのです。『救う会』は民間団体ですが、めぐみさん、有本恵子さん、田口八重子さんらに関して確実な生存情報を持っています。日本政府はもっと確かな情報を握っています」
1人残らず全員帰国!このための具体的な3条件
1. 世論を武器に全員救出の機運を作る
救出の具体的な条件は3つだ。
1つは、世論を背景に日本政府に全員救出の体制を作らせる。本当は世論が動かなくても政府がやるべきことだが、経験則で2002年の絶好のチャンスを逃しており、危うく「遺族にされて終わり」という結末を迎えるところであった。
2006年、安倍政権に当時の拉致問題を専門とする組織である「拉致問題対策本部」ができて、第2次・安倍政権になり、拉致本部を立ち上げた安倍首相が戻ってきた。拉致問題をライフワークとする首相がいる限りはこのまま進んでほしいと願う。
2. 厳しい制裁を継続、強化して北を困り果てさせること
第2は、北朝鮮がいよいよ困り果てて日本に接近することだ。いわゆるアメとムチ。こんな厳しい経済制裁を、どうか解除してほしいという要望を出させて国際連携による圧力を加える。こうして交渉の場に引きずり出すという。
安倍首相も同じことを考えている。2年前の2014年3月に日朝局長級協議の前夜、首相官邸に家族を呼んで4時間近く食事を共にしたという。その時の安倍首相は「制裁というと対話ができなくなると言われるが、今、世界一厳しい制裁を日本は行っている。今回は2002年の小泉訪朝時より困難だ。神とされている独裁者金正日が一度行った死亡通告を覆すことになるからだ」と語ったという。
北朝鮮では故・金正日の言葉は絶対であるから、常識的には難しいという意味だ。西岡氏が驚いた言葉は、首相が述べた「独裁者」という表現だ。明日から交渉という時に、この言葉は非常にインパクトがある。
ストックホルム合意で拉致以外の問題も議題とし、「融和路線」に傾いたこと、これは外務省の失敗だと考えられている。北は深刻な食糧難にエネルギー不足。外貨は喉から手が出るほど欲しい。
日本政府は、紆余(うよ)曲折しながらも、1月の北による核実験で安保理制裁より先に独自制裁に踏み切っている。それに海外が追従した形だ。日本が先に制裁をすることには大きな意味がある。
西岡氏としては、日本の制裁強化の基準に核とミサイルだけではなく、拉致が加わっていることを評価している。日本の制裁の効果はどれくらいのものなのか。「まず、人道支援を完全にやめています」。食糧を全く北へ届けていないということになる。
国連機関を通じて小泉元首相は2004年に25万トンの食糧支援を約束。帰国した5人の被害者の家族が帰国したことで12万5千トンを実施している。しかし、偽物の報告書が続き、非人道的で不誠実な対応に食糧支援を停止させた。
その日から今日まで止まっているという点は注目できる。西岡氏は、「核問題と関係なしに継続している人道支援停止は有効な対北のカードだ」と言う。その根拠に、北朝鮮は制裁後に日本批判のトーンを上げなかったからだ。米国と韓国には制裁へ対する強い反発を示し、中国も名指しは避けたが批判している。
「交渉は決して表舞台では行われない」、そう西岡氏は言う。時間をかけて水面下で交渉を続けている状態なのだ。西岡氏は、政府には拉致対策の体制ができている、その上北朝鮮が日本批判を控えている今がチャンスだと語気を強めた。
恐らく1兆円単位の対価を求めてくるが、核問題があるので大規模な経済支援はできないと告げ、人道支援という形で交渉に応じさせる方法しかないようだ。人質事件が起きたら人命の安全が第一優先となる。犯人が食料や水を欲しいといえば出す。対北交渉も同じだと語ってくれた。
3. 軍事作戦 北が崩壊した場合の現実味を帯びた法整備
最後となる第3条件は、これまでのアプローチは北朝鮮の政権が維持され、安定しているということが前提で語られている。しかし、いつ崩壊してもおかしくない状態にある。崩壊した場合に大混乱が起き、北は内戦状態、内乱、治安の維持が難しくなることも予想される。
日本の沖縄のように韓国にも在韓米軍が駐留する。内戦や天変地異の混乱時は、米韓軍が北進する作戦を持っており、合同訓練を繰り返す。西岡氏によると、作戦の最重要課題は、核兵器を確保して、テロリストなどの手に渡ることを食い止めることにあるという。
隣国である中国は確実に動くので、下手をすると国際戦争が勃発する可能性は十分にあるのだ。この時に、拉致被害者たちを誰がどのように保護するのか。救出作戦は自衛隊を投入することも含めて、十分に米韓軍と連携をしていくこと。本当に同盟国である米軍に依頼できるのか、実際に安保法制が改正されたが、現行法ではこのような作戦を展開することは無理だと話す。交戦状態の地域に自衛隊は派遣できないからだ。
「集団的自衛権を行使できるようにし、日本はこれだけやる。『アメリカもこれだけやってもらいたい』と、どこまで迫れるか・・・。だから、集団的自衛権行使はやった方がいいと考えるし、法的な改正はもっと必要です」。現実味がより帯びている話だ。既に米軍とは話し合いが進んでいる段階ではあるが、「自衛隊法も改正するべきだ」と西岡氏は主張する。
西岡氏と韓国 信仰の歩み
西岡氏の韓国との接点は、国際基督教大学(ICU)の3年生の秋に初めて交換留学生として韓国へ渡ったことだ。「いざ韓国へ行くと、今とは違って朝鮮戦争を覚えている世代がまだたくさんいた」と振り返る。「反共(反共産主義)意識が強かった」という。
北朝鮮の侵略に対する強い警戒心を抱いており、そうならないためにも、民主主義は必要という考えが韓国人にはあったと話す。日本で見聞きした韓国報道とはまるで違うではないか――。ここから研究者への道を歩んでいくことになる。
交換留学を終えてICUを卒業した後、筑波大学大学院地域研究・研究科修士課程で韓国研究を続け、再び韓国へ渡り在韓日本大使館専門調査員として勤務した。西岡氏はクリスチャンだ。大学院時代にいろいろと思い悩むときがあり、扉を叩いたのが練馬教会(基督聖協団)だった。
小笠原孝牧師によるカウンセリングや聖書の話に、無神論者だった西岡氏は世界の中心に神がおられることを知り、自分に罪があることが分かって悔い改めたという。そしてクリスチャンとなった。今も家族で礼拝に集っている。
西岡氏は学者であり、地域研究のエキスパートだ。今は東京基督教大学で韓国の言語や文化、東アジアの国際政治などを教える教授でもある。西岡氏はしっかりとした眼差しで、「この世界には聖書のいう普遍的な悪が存在する。悪と平和を対峙して考えたときに、日本の平和は、外敵に攻められないことが重要課題」とし、「中国共産党が最も脅威だ」と警告した。日米同盟の抑止力以上に中国が力を持つと、平和は維持できなくなると主張する。
戦争を行う国という意味ではなく、2度と拉致問題のようなことが起きないためにも、国防は努力するべきだと持論を展開した。このような事が起きた以上は、日本は平和ではないという考えだ。戦争は日本がするものではない。仕掛けられる可能性をどう考えるかが重要だと主張する。
「聖書的に考えても世の中には普遍的な悪が存在する。この拉致は大きな悲劇であり、絶対にしてはいけないこと。どの国のどのような文化、政治体制であれ許されないことだ」。こう述べる西岡氏は、今後もクリスチャンとして「救う会」の活動のために祈り続けるという。信仰者としての使命なのだ。
全員が帰るまで絶対に諦めない! 北朝鮮政権と指導者へ告ぐ
西岡氏は北朝鮮の指導部はネットや日本からの情報を常に見られる状態にあると証言する。「救う会」の会長として、今年で80歳になった横田早紀江さん、家族の高齢化が進む中で今年中に進展をさせたいと自身のビジョンを語ってくれた。西岡氏は強い口調で北朝鮮へ向け語った。
「北朝鮮の金正恩と拉致について責任ある立場の人間に告ぐ!日本国政府や日本国民は、北朝鮮が拉致をした人を全員1人残らず家族の元へ返すまでは、その家族も『救う会』も絶対に諦めない。返さないなら北朝鮮の政権が崩壊するまで強い圧力を掛ける。安倍首相はこのように断言している。『北朝鮮には未来はない』。私たちは同じ思いだ」
북한의 김정은과 납치에 대한 책임이 있는 자리의 인간에게 말한다!
일본 정부와 일본 국민은 북한이 납치 한 사람을 전원 한 명도 빠짐없이 가족의 품으로 돌아올 때까지, 가족도 [구원회]도 절대로 포기하지 않는다.
돌려보내지 않는다면 북한 정권이 붕괴 할 때까지 강한 압력을 걸 것이다.
아베 총리는 이렇게 단언하고 있다. "북한에는 미래가 없다" 우리는 같은 생각이다.
(上記メッセージのハングル表記)
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大切なことは、世論がこの問題を訴え続けることだと感じた。安保の話に及ぶと、日本人は戦争か、反戦かで意見が割れてしまう時代にある。西岡氏が伝えたいことはそこではない。日本人が間違いなく北朝鮮に拉致をされたというその事実と、独裁者のためにどれだけ多くの人間が犠牲となっているのかをさまざまな角度から見つめ続けてきた当事者として、本紙にメッセージを託したのだ。
日本人は今1度、「拉致被害者を返せ」と声を大きくして政治や信条を越えて伝えていかなければならない時に来ているのではないだろうか。忘れないでほしい。必ず被害者たちは愛する家族の元に帰ってくることができる。私たちにできることは1つ。声を大にしてメッセージを発信し続けることなのだ。