戦前の教会や大学、さらに各個人について小紙で言及する際、イデオロギーに基づくレッテル貼りを避け、できるだけ丁寧に事実判断を大切にしたい。その願いに沿って、インタビューや講演会の取材などを通して、研究者の地道な営みに、自らの制約をわきまえながら学ぶ記事の掲載を重ねてきました。
そして、8月15日を中心とする一つの節目を経過しつつある今、掲載した記事から私なりにあらためて学び、さらに記事が契機となった波紋の広がりを経験しています。
例えば、宇都宮大学の宮本栄三名誉教授の長編のインタビュー記事を拝読し、宮本先生と文通を始め、著書の交換をしています。宮本先生からは、田畑忍編著『近現代日本の平和思想 平和憲法の思想的源流と発展』(ミネルヴァ書房)をご恵送いただきました。うれしくなります。
明治時代、また大正期と昭和前期の平和思想において、平和憲法の思想的源流を多方面から明らかにしています。そこには、人物一人一人に焦点が当てられています。そこでもう一つ、若松英輔氏の講演の報告記事を思い起こします。
内村鑑三が訴えた「非戦」の意味を今こそ考えたい 若松英輔氏(1)
内村鑑三の回心 「理論」ではなく「心情」 若松英輔氏(2)
クリスマスはいつ来るのか? 太宰治と内村鑑三 若松英輔氏(3)
そこでは、内村鑑三に見られる「一人で立って一人で考える」道が明示され、どのような状況の中にも「この道を」と励まされます。(続く)
(文・宮村武夫)