『基督信徒のなぐさめ』での内村鑑三の回心
内村は不敬事件の後、1891年に妻を亡くし、『基督信徒のなぐさめ』を出版した。内村はこの時期、祈ることをやめ、神を呪詛(じゅそ)すらしたと書いている。
これ難問題なり。余は余の愛するものの失せしより後、数月間、祈祷を廃したり。祈祷なしには箸を取らじ、祈祷なしには枕に就かじと堅く誓ひし余さへも、今は神なき人となり、恨(うらみ)をもって膳に向ひ、涙を以って寝床に就き、祈らぬ人となりおわれり。(内村鑑三『基督信徒のなぐさめ』1893年)
しかし、その先でこうも書いている。
ああ神よ、ゆるし給へ。なんじはなんじの子供を傷つけたり。彼は痛みの故になんじ近づくあたわざりしなり。なんじ彼が祈らざるが故に彼を捨てざりしなり。否、彼が祈りし時に勝りて、なんじは彼を恵みたり。彼れ祈り得る時は、なんじ特別の恵みと慰めとを要せず。彼れ祈る能(あた)はざる時、彼は爾(そ)の擁護を要する最も切なり。(同)
内村はかつて神に熱心に祈っていたからこそ、神はそばにいると思っていたが、絶望する出来事があって祈るのをやめ、神を呪いさえしたときにこそ、神は自分のそばに寄り添っていたと気付く。神は自分が祈ったときに自分の近くにいたのではない、自分が祈れないときこそ神がそばにいたのだと。
若松氏は、「これこそが内村の回心でした。回心とは向きが変わるということであり、生の向きを変えるということです。内村は悲しみや苦しみは避けねばならないと思っていた。しかし、むしろ苦しみを通じてしか見えてこないものがある。だからこそ神は苦しみを与えてくれた。これが内村の原点であり、最初の本でもあるのです」と語った。
同書の第一章の終わりで、内村はこう書いている。
――時にはほとんど神をも――失いたり。しかれども再び、これ回復するや、国は一層愛を増し、宇宙は一層美と荘厳とを加え、神には一層近きを覚えたり。余の愛する者の肉体は失せて彼の心は余の心と合せり。何ぞ思わん、真正の合一は却って彼が失せし後にありしとは。(同)
また内村は1893年に、「霊性」という言葉を「宗教を超えて」という意味で使ったと若松氏は指摘する。
「『霊性』とは人間の大いなるもの、魂の奥底にある何かへの態度であり、それにどう向き合うかは、われわれがどう生きるかということに直結する」と若松氏は言う。だからこそ、『基督抹殺論』という本すら書いた幸徳について、内村は「確信ある無神論」として高く評価したという。
「われわれが必要なのは、思想を同じくする人と手を結ぶことではない。それは戦争するのと変わらない。思想が異なる人でも目的が同じならば手を結ばなければならない、ということを内村と幸徳のつながりが教えてくれている。宗教の有無、思想の有無を言っている時代ではない。それを超えて実現するべきことが、今日のわれわれにもあるのではないか」
心情は教義に勝ると語った内村
1912年に娘ルツ子を失ったことも、内村に大きな影響を与えた出来事だった。その翌年に札幌で行った連続講演は、内村の講演の中で最も優れたものだったと若松氏は言う。内村はここで、キリスト教は生きている人を助けるものとされ、教会で亡くなった人のことを語るのは無益のことのように考えられがちだが、それは堪えられないことだと語ったという。
プロテスタント・チャーチではこの事(死者に関すること)にすこぶる冷淡であります。普通の教会では死者のために祈る事は禁ぜられております、死ぬる前においては盛んに祈りますが一旦死してしまえばその人のために祈る事はありません。この事はほとんど私どもには堪えられないことであります。
もしも諸君の中で、最も親しき者を失った時に、それが消えてしまったのだと考えるのはほとんど堪えられぬことでありましょう。死というものは永久に別れたのではありませぬ。一時、別れたのであります。否、さらに近しくなったものだと考えるべきであります。これが実に愛する者を失いし時に起る実際の至情であります。(中略)「キリストに依れる者は死しても尚死なないということはデモンスツレーテット、フワクト(証明された事実)である」(内村鑑三「逝きにし人々」1913年)
若松氏は、これは現在の教会でも見られるのではないかと指摘し、論理ではなく心情の大切さを語った。
「内村が語るとき、よすがにしているのは理性ではなく感情です。内村はものすごい頭がいい人だった。しかし生き抜く中で一番大切にしたのは、自分の最も深い静かな場所にある容易に否定できない『感情』や『心情』だった。それを、キリスト教の教義に勝るとすら書いています。
平和という問題も、われわれは理で考えてはだめなのではないか? 理で語ると人は必ずねじ伏せられ、説き伏せられる。しかし感情をねじ伏せることは絶対できない。イヤはイヤだから。われわれはどれだけ深く感情と切り結ぶことができるのだろうか?
われわれがこの世で守らなければならないものを最初に感じるのは、理性ではなく感情、心情だと内村は教えてくれる。故に内村は幸徳を信じた。理ではなく心情で。理性だったら、キリスト者と無神論者はぶつかっただろう。しかし感情からならば信じられた。内村は不敬事件のとき、自分がかつて信頼していた教会の人々からひどく苦しめられた。むしろ幸徳のように立場が違った人が彼を救った。幸徳のような人間はギリギリのとき、絶対に裏切らないということを知っていたから信じることができた。
これは100年前の出来事ではない。われわれもそうだ。一番信頼できる人間は、必ずしも自分の思想信条を同じくする者ばかりではない」
「内村の文章は一回読んだらもう忘れることはできない。内村のような魂から魂へ飛び立つ言葉は現代では本当に稀有(けう)である。私たちはともすれば、頭と論理で考え、正しいと思ってしまう。人間が論理で生きていることなどわずかなことをわれわれは知っているからこそ、人は論理でねじ伏せようとする。内村の文章はわれわれの理性ではなく、全く違うところを揺さぶる。揺さぶられたとき、自分にもそういう場所があるなと気づく。抱きしめられたとき、ああ、自分はここにいるなと分かるように。そのためにこそ、現代に内村を読んでほしい」