北海道大学同窓生有志が集い、新渡戸稲造の人格を学ぶために2001年2月にスタートした「武士道講読会」。講読会は150回を越え、7日には同会が主催する第6回目の講演会が、東京都千代田区の学士会館で、内村鑑三研究で著名な立教大学名誉教授・鈴木範久氏を招いて開催された。
講演会は、北海道大学東京同窓会、東京女子大学同窓会、札幌農学同窓会東京支部の後援で、「内村鑑三研究60年」と題して行われた。内村鑑三は新渡戸稲造と同じ、北海道大学の前身・札幌農学校の二期生。同会は、新渡戸稲造が東京女子大学の初代学長であったことから、同大学とも親しい関係を持っている。
初めに、鈴木氏の経歴を紹介するために北星学園理事長・大山綱夫氏が登壇し、「内村や新渡戸が願った日本とは違う方向へ急旋回していると思わざるを得ません」と短く、北星学園脅迫事件について言及した。
続いて登壇した鈴木氏は、「内村鑑三というと、顔つきからしても恐い、厳しい、気が短い、気難しいと思っている人が多いと思う」と話を始めた。内村の周囲にはいつも、戦後に活躍した教育者などの華々しいエリートばかりがいるイメージを、鈴木氏自身も抱いていたという。
しかし、長年の調査の中で、内村に赤い靴をもらったというある女性から、「内村先生ほど優しく、女心の分かる人はいませんよ」と話を聞き、大変驚いたことがあると話した。他にも、内村の弟子たちによる思い出話を取り上げ、内村鑑三という一人の人間を見るにあたっても、どの側面に焦点を当てるかによって見え方が異なるという研究の根本的な問題についてを指摘した。側面の違いだけでなく、いつの内村鑑三であるのかも非常に大事な点であり、多角的かつ、時期を見極めた上で内村を見る必要があると述べた。
この日、鈴木氏は「内村における不敬事件の位置付け」を主題に話をした。内村は事件直後、大変気落ちし、ほとんどノイローゼ状態で、新渡戸などの誘いにも応えられないほどであったという。その中で読んでいた聖書のヨブ記は、内村の心に深く突き刺さり、あまりの迫りゆえに、読み進めることが難しくなるほどであったという。
事件から3年経った後も、短歌の中で「心の傷は消えやらで」と歌っている。時間の経過と共にその傷は癒えることなく、晩年に近づけば近づくほど、痛みはむしろ募っていったのでは、と鈴木氏は語り、そこには、内村の思想という域を超えて、「キリストの愛」への引っかかりがあったのだろうと分析する。
内村というと「二つのJ」(Japan、Jesus)を愛するという思想が有名だが、鈴木氏によれば不敬事件を境に晩年に向けて Jesus への愛が優位になってきたように見えるという。それは、Japan への愛が失われたというのではなく、徐々に Jesus の愛の中にあっての Japan への愛という形が確立していったということであり、常人とは大きく異なる愛し方ゆえに、内村は誤解されることが多かったのだと語った。
鈴木氏自身も、この世に絶望していた時期に、内村の思想と出会い、深く共感したことから研究を始めた。「今は、長年研究してきた結果、内村を偉い人だと思うだけではなく、人間としてつまらない部分を持ち合わせているとも思うようになったが、そうではあっても、やはり近代日本を生んだ最高の人物だと思う」と60年の研究をまとめた。
講演会の直後には、参加者による懇親会も開催されたことから、講師と聴衆との距離が近く感じられる会となっていた。講演会の最後に、参加者からは、「現代日本の無教会主義と神道の関係についてどう思われますか」などと、研究書を読むだけでは分からない内村の思想の深みに踏み込もうとするような質問が多く寄せられた。
鈴木氏は、「確かに、一般の神道よりも神道に傾いているように感じられる無教会主義が見られるようになってきた。それは、内村のある側面だけを誇張しているだけに過ぎないと思う」と答え、内村の思想が今でも大きな影響を与え続けているからこそ、正しい理解が求められる現代日本であることを再認識させられる会であった。