17日、今井館聖書講堂(東京都目黒区)で第35回内村鑑三研究会が開催され、「内村鑑三研究」編集委員で東洋英和女学院大学名誉教授の原島正氏および大阪市立大学名誉教授の佐藤全弘氏が内村鑑三に関する講演を行った。
原島氏は「『と』の神学再考-内村鑑三の宗教思想を中心に」と題し講演を行った。同氏は内村の神観、十字架観に関して「義と愛」の問題が信仰生活における文章を書いた中心にあったと伝えた。内村には無教会を始め、常に思想の対立に踏み込み、それを深める傾向がその信仰生活、思索活動の中で顕著に見られてきた。原島氏は、内村は「と」という「二元論」の問題を抱えながらも対立の中でどちらかを選択しどちらかを排除する形にするのではなく、他者を抱えながら克服していく「二元論の奥底に完全なる調和の在るを信じて進む」という人生観・基督教観を持っていたと伝えた。一方で二元論の論考の中で哲学的に試作しただけの人ではなく、信仰によって生き(ローマ1・17)希望と祈りに生きたのが内村であったと伝えた。とりわけ内村の「求安録」には内村が祈りに生きた姿勢が顕著に読みとれるという。
義と愛―キリストの十字架で一致
内村は義と愛の関係について「義は愛の代価」であり、義を行うときに図り知れない苦しみがあるものの、愛を行う時には楽しみと喜びがあり、義の行われないところには愛が無いことを日記の中で記している。
聖書の中心に関して内村は「キリストの十字架」であるとし、十字架において「義と愛が一致した」と記している。内村は「楕円形の話」(1929年10月)の中で、一つの中心ではなく二中心がある楕円に擬えて宗教活動について「宗教は慈愛と審判である。愛と義である。若し宗教が義のみであるならば之を行ふは至って容易である。愛のみであるならば亦然りである。宗教を実行するの困難は、それが愛であつて同時に亦義であるからである。忠ならんと欲すれば考ならば、孝ならんと欲すれば忠ならずと同じヂレンマ(板挟みの窮地)にあると同じく、愛と義を同時に完うするは忠孝両道を同時に完うすると同様に困難である」とその困難さについて二元論を中心に論考している。
同じく内村の書いた「神の忿怒と贖罪」(1916年4月)では、「如何にして二者(義と愛)を調和せん乎、是れが大問題であるのである。単に思想上の大問題ではない。実際上の大問題である。而して此大問題が完全にイエスキリストの十字架の死に由て解決されたのである。愛と義とが互いに接吻し、二者相合して恩恵となりて神の懐より出て罪人の心に臨むに至ったのである」と記しており義と愛を結ぶ役割が十字架にあったことを伝えている。内村は宗教活動において義と愛を同時に実践することが困難であるものの、キリスト者においては、義と愛との調和がキリストの十字架を通して認められるものであることを自書の中で伝えている。
また内村の聖霊観としての「と」は、自力「と」他力の二つを通して見られるという。1925年7月発行の『聖書之研究』300号で内村は「自力と他力」と題する論稿を掲載している。原島氏はこの論考は内村の聖霊論を解読するためにも貴重であり、『と』の神学を考察するためにも大事な文献であると伝えた。この論考では仏教における他力と自力の教えがあるのに対し、キリスト教は神の義を行うための宗教であり、神に頼ることは自分にも頼ることであり、「自力他力の別を立てて、只一方に偏せんとしない」宗教であると伝えている。内村によると「基督教は他力にして他力に非ず、自力にして自力に非ず、自力他力の両勢力を以つて己が救を全うする道である」という。
原島氏はここに内村の「と」の論理を見出すことができると指摘した。つまりXはAであってAではない。それならばBなのかといえば違う。XはBであってBでない。そしてAとBとは矛盾した概念、すなわちAは非B(A≠B)、Bは非Aでありながら、AとBがともに大事であるとするのが、内村の「と」の論理であるのだという。
原島氏はこの矛盾した内村の論理について、「内村によれば人が人に供し得る最善の援助(たすけ)は自己援助である。神が人を援け給う最善の途も亦同じである場合、神はその人が自らの力でできるように、援けるのである。パウロは、『自らの救いを全うすることを勧める』と自力で勧める言を残しつつ、同時に『神は御意を成さんがために、汝等の衷に働き、汝等をして志を立て、業を為さしめ給える』と述べている。これは他力であるが、他力とはいえ、自己の外に働く他力ではない。内に働く他力であり、「自力と成りて働く他力」なのであり、『聖書の言を以て云えば、聖霊なのである。我等をして志を立て業を為さしめる力である』と内村は記している。内村は『物には内外の別があるが霊には其別が無い』と記しており、『聖霊』において『内と外』が一つになっている。私たちの外からも内からも働き、私たちをして神の御旨を実現するように働きかける。それゆえに内村は『基督教は自力教非ずして又他力教に非ず、聖霊教である』と記している」と説明した。
また内村の「二つのJ(JesusとJapan)」については、原島氏はこの場合の「と」は対立・矛盾をとりあげたこれまでの「と」とは異なり並列の「と」であると指摘、共に内村の愛の対象であり、どちらかを選択することはできないものであったが、一方でJapanは、内村の愛に応えてくれず、(不敬事件などで)内村を苦しめる元凶でもあったものの、Japanへの愛は、内村の生涯において変わらざるものであったと指摘、この愛はJesusへの愛に劣らぬほどの深みを持つものであったと伝えた。原島氏は、Jesusへの愛が、Japanへの愛を深めたことも確かであり、Japanへの愛とJesusへの愛が内村にとって一つであったことが、内村の特色でもあったのであるが、同時に問題も抱えていたことを指摘した。
原島氏はさらに内村の「と」の神学に関して、メソジスト運動の創始者でウェスレアン・ホーリネス教会発展の信仰的礎ともなった信仰者ジョン・ウェスレー(1702-1791)の宗教思想の中の「共存性」について「超越と内在、神学と哲学、信仰と理性、普遍と特殊、全体と個、上からの発想と下からの発想など、矛盾し対立する二つの項の共存を主張し、相異なる二つの知識形態を説き、その両者が深いところで一致すると語り、全体的総合的知識体系を重んじていた」とのウェスレー研究家の清水光雄氏の指摘を引用し、ウェスレーの宗教思想にも内村に類似した思想を見出すことができると指摘した。