批評家の若松英輔氏のトークイベントが15日、ジュンク堂書店大阪本店(大阪市北区)で行われた。若松氏は、コーランの翻訳者としても知られる井筒俊彦の評伝『井筒俊彦―叡知(えいち)の哲学』や『内村鑑三を読む』など多くの著作があり、100年以上の歴史がある文芸誌『三田文学』の編集長を務めている。生後40日で洗礼を受けたカトリック信徒だが、共産主義者ではないものの、日本の近現代史を振り返るとき、共産主義を生きた人々の中に宗教者よりも深い宗教性を感じると言う。トークイベントがあったこの日に衆院特別委員会で安保関連法案が採決されたことにも触れ、内村鑑三や幸徳秋水を読まなくてはいけない時代が来たのではないかとして、約1時間にわたり、内村と幸徳の非戦論などについて語った。
内村鑑三と幸徳秋水の非戦論
若松氏はまず、「今、日本ではどういう場合には集団的自衛権が許されるのか?という議論がなされているが、内村はどんな理由があっても戦ってはならないという生き方を示した」と述べ、内村鑑三の「戦争廃止論」を紹介した。
余は日露戦争非開戦論者であるばかりでない、戦争絶対的廃止論者である。戦争は人を殺すことである。そうして人を殺すことは大罪悪である。そうして大罪悪を犯して、個人も国家も永久に利益を収め得ようはずはない。(内村鑑三「戦争廃止論」1903年)
「非戦」という言葉を最初に使ったのは、大逆事件(1911年)で処刑された社会主義者の幸徳秋水。1900年に「非戦争主義」という言葉を使ったのが始まりで、内村はその影響を受け、「戦争廃止論」を書いたという。幸徳の『帝国主義』(1901年)には次のような言葉があるという。
今や軍国主義(ミリタリズム)の勢力盛んなる前古比なく、殆(ほとん)どその極に達せり。(中略)その原因と目的は、けだし防禦(ぼうぎょ)意外にあらざるべからず、保護意外にあらざるべからず。然り、軍備拡張を促進する因由は、実に別にあるあり。他なし一種の狂熱のみ、虚誇の心のみ、好戦的愛国心のみ。(幸徳秋水『帝国主義』1901年)
若松氏は言う。「今日通った法律(安保関連法案)の根拠は何か? 幸徳の書いた『一種の熱狂』と『ほとんど意味のない沽券(こけん)』、そして『好戦的愛国心』と重ならないだろうか。110年前に比べ、現代が進歩したとはいえない」
内村はこの本を高く評価し、序文を寄せているという。また幸徳が処刑された後、彼の生き方を「確信ある無神論」(「神に関する思想」)だったとし、深い哀悼の念を寄せたという。
若松氏は、現在から見ると唯物論とキリスト教はぶつかりあうように思えるが、内村という人が一番強く幸徳を支えたという歴史的事実があると指摘し、こう述べた。
「内村や幸徳がわれわれに問い掛けてくるのは、一人で立って一人で考えるということ。内村も不敬事件で日本中からたたきのめされ、二度死ぬことを考えたと書いている。幸徳は大逆事件で殺された。しかし、これらは100年前の出来事で今日のわれわれと関係ないと考えてはいけないのではないでしょうか」
言葉による宣言で言論人は戦う
また若松氏は、幸徳が翻訳した『共産党宣言』(1904年)を引用しながら次のように語った。
「これはただの『宣言』であり、なんら法律的根拠を持たない。しかし、20世紀を通して世界でどの法律よりも現実に力を持った。日本は恐らく近く憲法に手を付けるだろう。しかし、われわれは宣言を出すことはできる。幸徳が行ったように、われわれ言論人は、何らかの宣言をもって法律に対抗できるだろうか?と問われているのではないだろうか。私も書き手の一人だから他人事ではない」
“一人で立つこと” 花巻非戦論事件を通して
続いて若松氏は、花巻非戦論事件についても触れた。内村の高弟に、宮沢賢治の親友で「雨ニモマケズ」のモデルになり、内村の死に水を取った斎藤宗次郎という人物がいる。斎藤は「税金は全て軍備になるから税金を納めるのをやめ、徴兵されても絶対に行かない」と国に向かって宣言した。内村は斎藤からの手紙を受け取ると、汽車に飛び乗り14時間かけて東北の斎藤に会いに行った。
内村は不敬事件で日本中から批判を浴びて病気になり、介抱してくれた妻を失うという大変つらい目に遭ったことから、弟子が同じ目に遭うことを恐れて、「家族も巻き添えになる。一番親しい人を苦しめるからやめろ」と説得したという。しかしその40年後、斎藤自身が『花巻非戦論事件における内村先生の教訓』という薄い本で、世に知られていない内村の言葉を伝えているという。同書によると、内村が斎藤の元に駆け付けた翌朝、二人だけで散歩をし、周りに誰もいないときに内村は一言だけ言ったという。
「もしお前が本当にお前の信念を曲げたくないならば、ただ一人立って一人でやれ」
斎藤はそれを聞いて、「分かりました。やめます」と言ったという。
そこから若松氏は次のように語った。
「本当に勇気がある人間は一人で立つ。内村も斎藤に家族に類が及ばないようにし、それでも命を懸けるなら一人でやれと言った。良心的兵役拒否など甘いものはない、兵役拒否が大罪だった時代、殺されても文句は言えなかった。それでも一人でやれ、と内村は言った。内村の非戦論は本物だったと思う。
平和を考えるとき、われわれは一人であることを考えないとだめだと思う。たくさんの人が集まって声を上げることが無意味だとは言わない。今日、テレビに人がたくさん映って大きな声を出し、10万人集まったという。それもいいかもしれない。でもそれは本当に効果があるのだろうか。
むしろ一人の人間が本当に心から発する言葉はものすごい力を持つ。だから官憲は幸徳を恐れ、殺した。団結とは烏合の衆になれということではない。一人一人で立ち、その責任で集まれということだ。不敬事件を経験した内村と大逆事件で殺された幸徳が強く結び付いていたというのは興味深いし、必然なのだろう」
(続く:内村鑑三の回心 「理論」ではなく「心情」)