昭和天皇の生涯をまとめた「昭和天皇実録」。その約1万2千ページの内容の写しが、9月9日から11月30日まで、皇居東御苑内皇居内書陵部庁舎で公開されている。実録には、1901年から89年まで、第2次世界大戦や戦後復興を含む、昭和天皇の激動の生涯の日々が記されている。
NHKの報道によると、実録には、これまでの歴史観を変えるような新たな情報は含まれていないというが、今回の公開を受けて、各報道機関は特集を組み、歴史研究者などによる考証をさまざまな形で報じている。朝日新聞出版『週刊朝日』でも、「『昭和天皇実録』を読み解く」と題して連載が組まれた。
連載2回目の記事で、執筆者の政治学者・原武史氏は、「昭和天皇と宗教」と題し、昭和天皇のキリスト教への傾倒とその狙いを分析している。
昭和天皇とキリスト教の関わりの始まりと考えられるのは、天皇の皇太子時代。摂政になる直前の1921年、半年かけて欧州各国を訪問したが、その最後にイタリアでローマ教皇ベネディクト15世と会った。この時の出会いが、若き昭和天皇に強い印象を与えたようで、第二次世界大戦開戦直後の41年11月2日、天皇はローマ教皇を通じた時局収拾の検討を東条英機首相に提案したという。開戦直前から、戦争終結の手段を考え、その際に頼みとなりうるのがカトリック教会であると考えを巡らせていたということだろうか。
敗戦後の占領期、天皇はさらにカトリックに接近。戦前からキリスト教徒と親密にしていた香淳皇后の影響もあってか、女性牧師の植村環(たまき)から皇后とともに聖書の講義を受けるなどして、キリスト教に親しんだ。外国人神父などとも頻繁に会い、側近に各地域のキリスト教事情も調べさせていたという。実際、49年に九州を訪れたときには、長崎県や大分県のカトリック施設を訪れ、予定よりも30分長く留まったり、予定にない聖堂の視察をしたりしたことが、実録から確認できる。
一連の行動を受けてか、当時は天皇がキリスト教に改宗するといううわさが広まるほどだったが、外国人記者の、キリスト教に帰依するかという質問に対して、「外来宗教については敬意を払っているが、自分は自分自身の宗教を体していった方が良いと思う」と答え、うわさを打ち消した。
原氏は、天皇がカトリックに接近した背景には、戦中の神道に対する反省や、戦後日本国内の不安定な情勢、米国への対抗策といった、戦争責任と米国からの相対的自立という大きな2つの課題があったのではないかと分析している。だが、非常に興味深いのは、どのような歴史的、政治的背景があったにせよ、昭和天皇がカトリックへ改宗する道を探っていたと原氏が推測している点だ。
このほど、秋篠宮家の長女眞子さまに続き、次女佳子さまも国際基督教大学(ICU)への進学が決まったことが報じられ、「皇室とキリスト教」の関係について改めて注目が集まっている。日本の象徴として、神道の祭祀に深く関わる存在としての天皇や皇室という側面からではなく、一人の人間としての天皇を見直すとき、キリスト教との関係は決して遠いとは言えなさそうだ。