障がい
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脳性麻痺と共に生きる(36)これが僕の反抗期・・・? 有田憲一郎
「先生が心配していたよ」と、父が言ったことがあります。それは中学部の頃のことです。保護者会で担任の先生から、こう言われたそうです。「有田君、反抗期なのにあんまり反抗しないでおとなしいんです。それがちょっと気がかりで、心配しているところです」
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脳性麻痺と共に生きる(35)足が痛い 有田憲一郎
毎日、部屋で寝ていると、「朝だよ。起きなさい。学校、遅れるよ」と言われていました。朝は体も硬い上に低血圧気味だった僕は、寝起きの悪さも加え、僕を起こすにも両親は大変だったと思います。
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脳性麻痺と共に生きる(34)タイプライターからワープロへ 有田憲一郎
僕は手が不自由なので、自分でペンを持ち文字を書くことができません。そのため、幼い頃からタイプライターを習っていました。自分を表現する手段としてもそうですが、機能回復訓練の1つとして電動かなタイプライターを習い始めていました。
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脳性麻痺と共に生きる(33)高等部にはクラブ活動がない 有田憲一郎
以前にも書きましたが、高等部に入学してオリエンテーションが行われました。僕はまったく理解しておらず、「今日は、ゲーム大会をするんだ」と思い込み、普段より楽しみにして学校に行ったことを懐かしく思い出します。
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脳性麻痺と共に生きる(32)恐怖のプール 有田憲一郎
夏前の5月6月ぐらいになると「早く夏にならないかな」と学校のプール開きが楽しみになる子どもの姿があります。プールが始まると大いにはしゃぎ、9月のプール納めの時には寂しさを感じる。そんな思い出をお持ちの方も多いのではないでしょうか。
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脳性麻痺と共に生きる(31)午前2時に飛び起き 有田憲一郎
「休むことは悪いこと」。両親の教えの中に、そんな教えがありました。直接言葉では言わないものの、日常的な行動や態度を示し、僕に伝えていたのだろうと思います。
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脳性麻痺と共に生きる(30)手動車いすから電動車いすに 有田憲一郎
前回、僕は1人では外に出たがらなかった話を書きました。高等部になるまでは手動の車いすだったので、外に出ても自分で漕いで動くことができず、「日なたぼっこしておいで」と外に出されても、1人では外に出ようとしない僕がいました。
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脳性麻痺と共に生きる(29)1人では出たがらなかった 有田憲一郎
皆さんは、自分の足で自由に歩け、自分の手などが自由に動かせて、ある意味、何でもできる自分の体に感謝したことはありますか。自分の体が自由に動き、「行きたい」と思えば、どこにでも1人で自由に行けることが当たり前に思ってはいないでしょうか。
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脳性麻痺と共に生きる(28)英語で日付、そしてオリエンテーション 有田憲一郎
養護学校(現在の特別支援学校)には、軽度の障碍(しょうがい)の子から重度の障碍の子までさまざまな障碍を抱えた子どもたちが通っています。僕も含め、ほとんどの児童・生徒は車いすに乗った子で、毎日スクールバスで通っていました。
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脳性麻痺と共に生きる(27)高等部に入学 有田憲一郎
養護学校(現在の特別支援学校)の中学部を卒業し、同級生との卒業旅行に行ってからの僕は、残りの春休み、のんびり家で過ごしていた記憶があります。
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脳性麻痺と共に生きる(26)自分たちで計画した中学の卒業旅行 有田憲一郎
養護学校(現在の特別支援学校)の「PTAだより」だったと思います。卒業の季節になると、毎年、小学部から高等部までの卒業生が、それぞれの思いを書いていました。
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脳性麻痺と共に生きる(25)詩集「ノック」と初めての詩「女心」 有田憲一郎
中学部1年の時、ホームルームの時間に「これから何をして、どんなクラスにしていこうか」と話し合いをしました。この1年間で何をしたいか、中学の3年間で何をしていきたいか、何を目標にしていくのかというクラス目標もみんなで決めていきます。
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脳性麻痺と共に生きる(24)中学時代のことと大切にしている先生の教え 有田憲一郎
僕が通っていた養護学校(現在の特別支援学校)は、児童・生徒数も少なく、ほとんどが1クラスでした。僕の学年も授業ごとにグループ分けがあるものの、学年単位でのクラス分けがなく、転校や転入しない限り、卒業するまで一緒に学校生活を送ります。
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脳性麻痺と共に生きる(23)養護学校高等部合格発表の日 有田憲一郎
高等部の入学試験が終わった翌日、僕は「おはよう」といつも通り迎えに来てくれるスクールバスに乗り、学校に行きました。学校に着くと、担任の先生が迎えてくれ、いつもと変わらない学校の光景がありました。
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脳性麻痺と共に生きる(22)養護学校の高校受験 長く感じた入試当日 有田憲一郎
養護学校(現在の特別支援学校)に通う子どもたちには、学校に毎日通いたくても、体が弱かったり検査や治療などの事情で休まざるを得ない子もいます。精いっぱい与えられた命を生きながらも、障碍(しょうがい)や病によって悲しくも短い生涯を終えてしまう子がいる現実もあります。
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脳性麻痺と共に生きる(21)弟に「ありがとう。そして・・・ごめんね」 有田憲一郎
それは、僕が中学か高校生の頃だったと思います。他界した父が、僕にこんなことを言ったのを思い出します。「憲は障碍(しょうがい)者の見本となるような生き方をしていくんだ」。その言葉を聞いたとき、僕は「何を言ってるの?」、そう思った記憶があります。
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聖書で見るシネマ(2)映画「くちづけ」が提示する「答えなき問い」に向かい合う
キリスト者としてこのような出来事をどう受け止めるべきか? おそらくこのような映画が生み出された最も大きな理由は、この物語をきっかけにして今まで多くの人が見てこなかった「世界」に対し、眼差しを向けてもらうことだろう。それなら真摯に向き合わなければならない。
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脳性麻痺と共に生きる(20)「福祉が嫌い」という言葉への苦い記憶・その2:いつも学校に父がいた
他界した父は、僕が小学4年生から高校2年生までPTAの役員や会長を務めていました。「PTAの仕事って、毎日学校に行くの? 先生みたい。大変なんだね」。父はほとんど毎日のように僕が通う学校に行っていたのです。
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脳性麻痺と共に生きる(19)「福祉が嫌い」という言葉にある苦い記憶 有田憲一郎
15年前のことになると思います。数人の仲間同士で集まり、たわごとのない世間話で盛り上がっていたとき、「私、福祉が大嫌い!」、そう言った仲間のことを思い出すことがあります。
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脳性麻痺と共に生きる(18)障碍者は違う世界なの?パラリンピックと「バリバラ」から考える 有田憲一郎
今回のパラリンピックは、特に面白いと感じています。それは、前回までに比べ、パラリンピックがテレビで放送される回数が増えたこともあると思います。
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