「休むことは悪いこと」。両親の教えの中に、そんな教えがありました。直接言葉では言わないものの、日常的な行動や態度を示し、僕に伝えていたのだろうと思います。また、「やることは、やる」「言ったこと、決めたことは、ちゃんと実行しなければいけない」という基本的なことを身につけさせようとしていたのかもしれません。自然にそんなことを教えられてきたのだと思います。
僕の性格もあるのでしょうが、「休んではいけない。休んじゃ申し訳ない」という思いが強く身についていたのです。こうして学校には通うものの、勉強はしない僕がいました。
中学の卒業前に僕は、PTAだよりに、「高等部には勉強をするために行きます」と立派なことを書きました。しかし、自分から勉強机に座って勉強することはありませんでした。
両親は「困った息子だ」と思っていたのかもしれません。とはいえ、「いくらなんでも高等部に行ったら、少しは真面目に勉強してくれるだろう」と少しは期待していたのかもしれません。ところが、高等部に入学しても中学部にいた頃と変わらず、「少しは勉強しなさい!」と言われても、家で勉強しようとはしませんでした。
そんな僕を見て、「PTAだよりに『勉強しに行く』って書いた人は、どこの誰だったっけ?」などと、しらじらしく言う家族の姿がありました。しかし、そんなことなどおかまいなしで、僕は何を言われても勉強机にも向かおうとはしませんでした。
僕は両親に、「勉強は学校でするもの。家は体を休める場所。だから、勉強はしないでいいんだ」などと言ったことがあります。これには両親もあきれたといいます。そして、何も言う言葉が出なかったそうです。ただ単に勉強嫌いの僕は、いかにして勉強をしないで過ごすか、自分の精いっぱいな言い訳、悪知恵とでもいうのでしょうか、そんなことばかり考えていました。
養護学校の授業は、その子の障碍(しょうがい)や学力などによって内容も違えばスピードも違います。その子のレベルに合ったグループの授業が行われ、それぞれに合った宿題や家での課題が与えられます。
普通校に通ったことはありませんが、おそらく宿題の量も普通校に比べれば少ないと思います。出される宿題は、国語と数学、社会、英語でした。今思えば、どれも真面目に毎日コツコツやれば無理なくでき、またどの教科も提出までの期間には十分間に合う量だった気がします。先生方は、その子が無理なくできる量なども考えながら宿題を作ってくれていました。
そんな先生方の苦労など知ってか知らずか、学校の宿題も家でやろうとせず、親が見ていないとやらない少年でした。揚げ句の果てには、親に宿題をやってもらっていたのです。そんな僕は、「お前は、何を考えているんだ! 自分でやらないと、意味がないだろう! 自分でしなさい」と当然のことながら言われ、怒られたことが何回もありました。
それでも、時々気の向いたときには自分から勉強することもありました。それは、自分が興味を持ったものに対しての勉強でした。僕が部屋で勉強していると、「あら、珍しい。お前が勉強していると何かが起きそうで怖い」と言われてしまうぐらい、とにかく勉強も宿題も自ら率先してすることはなく、また「毎日書きなさい」と言われていた日記すらも書かずに、テレビを見ているか、はやっていたファミコンでゲームをして遊んでいるか、ゴロゴロしているような生活を送っていました。眠くなれば両親に布団に入れてもらい、今思えば「グダグダした生活をしていたな」と思います。
このように「まったく」と言っていいほど勉強をせず、宿題も真面目にやっていなかった僕が、ある時、急に勉強を始めたことがありました。それは、家族も寝静まり、母はお店で働いている午前2時を過ぎた頃のことでした。
僕は大好きなお風呂に入れてもらい、いつものように自分の部屋の布団に寝かせてもらい、眠りに就いていました。寝ているときでも体に硬直や緊張が入ってしまうため、深夜に何度も目が覚め、そのたびに「反対向く」などと言って父を起こしては、体の向きを変えてもらっていました。深夜で部屋を暗くしているとはいえ、それは周囲がうっすら見える状況でした。
今では、目が覚めてしまう深夜のうす暗い部屋や布団の中は、さまざまなアイデアが生み出せる1つの仕事スペースになっていますが、この頃の僕はまだ考える力も弱ければ、何かアイデアが浮かんでくるわけでもありませんでした。
そんなある日、僕はいつものように体の違和感で目が覚めてしまいました。「まただよ」と思いながら、父を起こして体勢を変えてもらうのを頼む前に「何とかして自分で体勢を変えて違和感を取れないか」と1人、布団の中でもがいていました。そうしているうちに、その時は体の違和感が落ち着いていきました。
「よし、これで眠れそうだ」と目を閉じました。ところが、なかなか眠りに就くことができません。「もう寝なさい」と普段から言われていた僕は焦り、ますます眠れなくなってしまいました。家族も寝静まっていて怒られることなどないのに、「寝ないと怒られる」という恐怖と1人で戦っていたのかもしれません。
焦れば焦るほど眠れなくなり、恐怖と不安を覚えました。そして、正確に時を刻み続ける小さな秒針の音が気になり始め、ますます眠れなくなり、頭の中でいろんなことを考えていました。その時、何かを忘れている気がしたのです。
僕は布団の中で「何だったっけな?」と考え始めました。しばらくして「あっ!」と何かに気付いたのです。それは宿題の存在でした。先生方が「無理せずともやれるように」と量も考え、提出も1週間や10日の期限を設けてくださっていたにもかかわらず、宿題の存在すら忘れていました。
普段もほとんどやらずに「まあ、いいか」と思っていた宿題ですが、その教科の先生は怖い存在でした。「やばい。また怒られる。げんこつか、廊下か」と、怒られている自分の姿を想像するだけで恐ろしくなってしまいました。
宿題の提出日は明日です。「どうしよう。何もやってないよ」と、先生の顔が浮かんできます。怒られるのが嫌だったのでしょう。僕は慌てて布団から飛び起き、部屋の明かりをつけて時計を見ると、午前2時を回っていました。
「やらないと」。僕は机に向かい、宿題をやり始めたのです。部屋の明かりに気が付いたのでしょう。父が僕の部屋をのぞき、「どうした? 寝れないの? 体、きついの? 寝なさい」と声を掛けました。僕が「明日までの宿題、思い出しちゃった」と言うと、父は「だからいつも言ってるんでしょう。頑張って自分でやりなさい」と言って、部屋から出て行きました。
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