高等部の入学試験が終わった翌日、僕は「おはよう」といつも通り迎えに来てくれるスクールバスに乗り、学校に行きました。学校に着くと、担任の先生が迎えてくれ、いつもと変わらない学校の光景がありました。先生に車いすを押してもらい、いつもの教室に向かう間、僕は「なぜ昨日、あんなに緊張していたんだろう」と、何だか不思議な感覚を今でも覚えています。
朝のホームルームの時間、「昨日の試験のこと、聞きましたよ。みんな頑張ったようですね」と、先生が話してくれた記憶があります。養護学校ですから、担任の先生には高等部の先生方から僕たちの様子や試験の結果など、すぐに報告されていました。しかし先生は、僕たちに試験の結果は教えてくれません。先生は「みんな合格してればいいね。楽しみだね。2週間後に合格者の名前が貼り出されます。みんなで合格発表を見に行きましょう」、そう言っていました。
2週間後、高等部の合格発表の日を迎えました。何だか僕は朝からドキドキしていました。スクールバスまで送ってくれる父に、「今日は合格発表だね。受かっているといいね。学校に行ったら、ちゃんと自分の目で見てくるんだよ」と言われた記憶があります。
その日のホームルームの時間、「待ちに待った合格発表の日です。ドキドキするね。今からみんなで発表を見に行きましょう」と、先生方に車いすを押してもらい、クラス全員で合格発表を見に行きました。
合格発表は高等部から近い場所で、中学部の教室から長い廊下を歩いて行った事務室の前に貼り出されます。「みんな頑張ったよね。ちゃんと答えられた? 受験勉強したの? みんな受かっているといいね」。そんな話をしながら、事務室へと向かいました。
同級生には、転びそうになりながらも1人で歩ける人や松葉杖をついている人、ゆっくり自力で車いすをこぐことができる人、そして車いすを押してもらわなければ移動することが難しい人など、それぞれさまざまな障碍(しょうがい)を持つ仲間がいます。「早く結果を見たい」と焦る気持ちを抑え、全員でゆっくり長い廊下を歩いて行きました。
歩きながら先生に、こう聞かれました。「みんな試験の前、ちゃんと勉強したよね。有田君?」、この時、僕は苦笑いをし、小さな声で「やったような、やらなかったような・・・」と曖昧な返事をした記憶があります。普段からテストの成績も悪く、おそらく入試の結果も全科目赤点で、結果を知っている先生は僕の成績にあきれていたのかもしれません。
でも、みんなには「僕ね、高校合格!って部屋に貼ってたんだ」と自慢げに話したことを覚えています。そんな話をして、勉強しなかったことをごまかそうとでも思ったのでしょう。
「学校に行きたい。高等部に通いたい」という思いだけは強くあった僕でしたが、勉強自体は大嫌いで普段からほとんど勉強机に向かっていたことはありませんでした。そんな僕でも両親は「いくらなんでも受験だから、少しは勉強するだろう」と思っていたようです。
「高校合格って書いてくれる?」。何を思ったのか、両親に頼んで大きな文字で書いてもらい、自分の部屋に貼っていました。そして僕はその文字を眺め、満足げな顔で「よし、これで高等部に行ける」と受験勉強という名の勉強など全くしないで遊んでいたのです。
合格発表を見に行く廊下で、「勉強はしなかったけど、高校合格って貼っていたから大丈夫でしょ」、そんな話をしていた僕に、さぞかし先生は「きっとあきれてしまっていたんだろうな」と、今となってみれば思います。
前回も書きましたが、養護学校(現在の特別支援学校)の高等部というのは普通の高校とは違い、受験に失敗したからといって通えないというわけではありません。実際に行われる試験は、その子の学力を見てグループ分けをし、どういう教育が必要なのかといったことをテストするもので、学校に進学願書を提出した時点で全員が高等部に進学できることにはなっているのです。
勉強はしなかったものの、入試の時、僕は緊張し「落ちたらどうしよう。通えなかったら、どうしよう」と、不安でいっぱいになったと思います。しかし、試験が終わり、数日がたち、ふと気付きました。「本当は全員、高等部に行けることになっているんだ」
先生が僕たち生徒に教えてくれるわけもなく、他界した教育に厳しい父が教えてくれるわけもありませんでした。僕は嫌々ながらも父に付いていった会合で耳にしていたのか、自然に雰囲気で知っていたのかは自分でも定かではありませんが、高等部に全員入学できるということを知っていたのです。
合格発表を見に行く長い廊下で、仲間同士「受かってるよね」とドキドキしながらワイワイ楽しそうに話している中、僕は1人「合格していること、分かっているのにな」と、受験生とは思えない少し冷めた気持ちで発表を見に行ったことを覚えています。とはいえ、実際に自分の目で見て合格していることを確認するまでは、本当に受かっているかと、内心は不安でドキドキしている自分もいました。
同級生の一人一人がそれぞれの思いを胸に、高等部の入学試験を受けていたのかもしれません。全員で長い廊下を歩いて来て、角を曲がれば合格者の名前が貼られている事務室まで近づいて来ました。
「さて、ここからは1人ずつ、それぞれで見に行き、自分で確認してください」と、先生が言うと、それぞれ一人一人合格発表を見に連れて行かれました。
自分の順番を待つ廊下は寒く、時間がとても長く感じられたことを覚えています。廊下に「やった!」と先に見に行った同級生の声が響き渡ります。そして満面の表情で笑みを浮かべ、うれしそうに戻ってくる同級生に「よかったね。おめでとう」と祝福する先生方の声が聞こえる中、ついに僕の見に行く順番がやってきました。
「行ってらっしゃい」。同級生に励まされながら、先生に車いすを押してもらい、合格発表を見に行きました。わずか数メートル先にある事務室までが長く感じた記憶があります。そこには「高等部には通える」と、心で分かっている自分と、この目で見ないと分からないという不安な気持ちの自分が交錯していました。
合格者の中に、僕の受験番号と名前が貼り出されていました。「あった! やった! 合格した!」。純粋にうれしく声を上げ、笑顔で喜んだ僕の中で、もう1人の僕がいたことを今でも昨日のように覚えています。それは「そりゃ、あるよな。だって、全員合格になっているんだもん」と、どこか冷静に見下しているもう1人の僕だったのでした。
◇