養護学校(現在の特別支援学校)に通う子どもたちには、学校に毎日通いたくても、体が弱かったり検査や治療などの事情で休まざるを得ない子もいます。精いっぱい与えられた命を生きながらも、障碍(しょうがい)や病によって悲しくも短い生涯を終えてしまう子がいる現実もあります。僕自身、高校を卒業するまでにも数人の同級生や先輩、後輩たちを天国へ送ってきました。
障碍の有無にかかわらず、病気もすることなく健康に毎日を過ごすことができることは、何よりの宝だと思います。そして健康に育ててくれた両親に感謝しています。他界した父のことを「PTAの仕事で毎日学校にいることが嫌だった」と思いながらも、友達や先生方と過ごす時間は楽しく、中学生まではほとんど休むことなく学校に通っていました。
そんな元気な僕も年に1回は風邪をひいていました。検査で脳波に発作を引き起こす可能性の症状が見られると毎日薬を服用し、年に1、2回の定期健診を受けていたため、年に数回は学校を休んでいたのです(幸い、今まで1度も発作が起きたことはありませんが)。
僕はその当時、皆勤賞というものに憧れていました。「病院の検査は仕方がないけど、あとは風邪で1日だけ休んだだけじゃない。皆勤賞、狙えるかもよ」と先生方から言われた記憶もあります。「風邪さえひかなければ・・・」
いつだったか、僕は主治医の先生に、こうお願いしたことを覚えています。「先生。僕、学校を休みたくないんだ。だから、できるだけ学校が休みの時にしてください」。学校が休みとなる、夏休み、冬休み、春休みの期間に検査をしてもらいたいと思ったのです。主治医の先生は僕のお願いを聞いてくださり、検査を学校が休みの期間中に合わせてもらえるようになりました。しかし残念ながら、僕は年に1度は風邪をひいてしまい、結局1度も皆勤賞を取ることができませんでした。
僕は主治医の先生にもう1つ、あるお願いをしました。「先生、薬をやめてもいいですか。飲みたくないんです」。服用していたのは発作を抑える薬で、命にかかわる大切な薬です。
それまで実際に発作を起こしたことはありませんでしたが、いつ起きてもおかしくない兆候が脳波に見られていたことから1日3回薬を飲んでいました。「薬、嫌いで飲むのも面倒くさい」。そう先生に言うと、先生は笑いながら「分かりました。脳波には発作の波が出ているけど実際に起こったことはないし、徐々に量を減らしていって、様子を見ながらやめる方向で考えていきましょう」。こうして僕は、徐々に発作を抑える薬をやめることに成功しました。
養護学校の高校受験の日
養護学校のほとんどは小学校から高等学校までの12年間を同じ校舎で学べることができ、校舎内で小学部、中学部、高等部にそれぞれ分かれています。しかし、普通校と同じように小学部、中学部までは義務教育ですが、高等部は義務教育ではないため、進学するために入学試験が行われます。
入学試験には校長先生との面談もあり、世に言う志望動機などを聞かれます。11月に入った頃からホームルームの時間に面談の練習が行われました。教室を面談会場にして、部屋への入り方からあいさつの仕方、言葉の使い方や敬語の使い方、そして質問の答え方を学び、志望動機を考え、試験当日の面談に備えていきました。
皆さんが中学3年生の時、志望する高校を目指し自分の実力と偏差値などと向き合い、合格するため夜遅くまで必死で勉強して試験に臨んだのではないでしょうか。希望する高校に行けるか、行けないか。それは長い人生の中で最初に自らが選択し自らが志望校を決め、初めて己と戦う試練の時なのかもしれません。そんな高校受験ですが、養護学校は普通校とは少し違うところもあります。
養護学校でも学力テストが行われます。試験に出される問題の内容はそれぞれに違い、その子が中学部で分けられたグループで習ってきた内容から出題され、その子の学力と実力を試す試験になっています。試験の結果を見て、高等部でその子にどのグループで学ばせ、どんな教育が必要なのかということを見るための学力試験で、実は普通の高校受験のように試験の成績が悪いから高等部に通えないということではないのです。
しかし、学校や先生方は普通の入試のように「今のままではちょっと厳しいな。高等部に入学できるように頑張ろうな」と、僕たちにリアリティーと緊張感を持たせるための演出が始まります。しかし、僕はほとんど勉強もせず、高等部の入試を迎えました。
2月の寒い入試当日、僕は緊張しながら毎日通い慣れた学校へと向かいました。養護学校の高校入試には保護者が付いて行きます。僕も父と車で学校に行き、見慣れたはずなのにまるで違う学校に試験を受けに来ている感覚だったことを今でも覚えています。
学校に行く校門に高等部入学試験会場の立て看板が建てられていました。登校すると受験者受付があり、担任の先生ではなく高等部の先生方に車いすを押してもらい高等部の教室に向かいました。
教室の控室で試験の説明を聞いていると、中学の担任の先生が僕たちの様子を伺いに来てくれました。「みんな、おはよう。緊張してるね。学んだことを試すだけだから大丈夫。リラックスだぞ」。先生は笑いながら言うと、「この子たちをよろしくお願いします」、高等部の先生方にそう言い残し教室を後にして行かれました。先生が教室を後にしてからしばらくして「そろそろ時間です。それぞれの試験会場に行ってください」。僕は先生に車いすを押してもらい、自分が試験を受ける教室に向かいました。
試験は中学部でその生徒が学んだことから問題が出されます。学んできたグループやその子の学力レベルなどによって、試験の内容や方法などが違います。また一人一人障碍に合わせ大きな文字でも書けるようにし、自分では文字が書けない生徒には先生が付き、答えを口頭や文字盤で伝え、代筆で行われます。口頭で答えていくため、代筆で試験を受ける子はお互いに答えが聞こえずカンニングできないように、それぞれ別の教室で試験が行われました。
必修試験が終わると、校長室で一人一人校長先生との面接が始まります。「試験が終わったら、ご飯を食べに行こう」。のんきなのか、それとも僕たちの緊張をほぐそうとしていたのか、一緒に順番を待つ廊下で保護者同士、そんな話をしていたことを覚えています。そうしているうちに、面接の順番が僕に回ってきました。
「有田憲一郎君、中にお入りください」。父に車いすを押され、ホームルームで繰り返し練習したことを思い出しながら、校長室に入り面接を受けました。何度もお邪魔している校長室にいつも会っている校長先生がいます。しかし、この日の校長先生は、いつもの校長先生とは僕の目に違って見えていたのです。
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