記事一覧
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温故知神―福音は東方世界へ(113)大秦景教流行中国碑下部のシリア語の現代訳と拓本 川口一彦
碑文の撰述者の景浄は、碑陽の後半に出る伊斯の子であり、父が皇帝から受けた財産を自分のために使用したのでなく、貧しい者への施し、景教会の発展にささげたことを伝えていることが分かる。
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温故知神―福音は東方世界へ(112)大秦景教流行中国碑の現代訳と拓本57 川口一彦
寧恕はシリア語からハナンイシューで、774年に東方景教徒の総主教に就任。778年に召天。ハナンイシューは慈しみ深いの意味。彼が世を去って3年後の781年に景教碑が建てられたので、彼は碑を見ていません。
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温故知神―福音は東方世界へ(111)大秦景教流行中国碑の現代訳と拓本56 川口一彦
1. 太簇は陰暦の1月7日(現在の2月4日)。2. 大耀森文の日について、神直道著『景教入門』では中期ペルシャ語の ek sanweh の音訳ともいう。碑は週の初めに建てられ、多くの関係者が祝福したと考えられます。
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温故知神―福音は東方世界へ(110)大秦景教流行中国碑の現代訳と拓本55 川口一彦
天地四方は明るく活気し、外国の民族も模範としました。景教の教えの道は広く、奥深い。強いて名づければ三一と申します。・・・撰述(せんじゅつ)が最終段落に来て、三一の神名で完結します。三一の主がすべてを成し遂げられたことを述べています。
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温故知神―福音は東方世界へ(109)大秦景教流行中国碑の現代訳と拓本54 川口一彦
西方からの多くの民族であふれていたことを伝えた一文です。建中年間とは紀元780~783年。徳宗の時代も節度使との駆け引きがあり、混乱した時代でもありました。
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温故知神―福音は東方世界へ(108)大秦景教流行中国碑の現代訳と拓本53 川口一彦
中国が栄えていたときは、東西南北から多くの民族がその益を被るために来ていたことを記します。ここに東方の国とあるのは、恐らく中国から見て日本のことなら、遣唐使のことを指しているのかと考えます。
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温故知神―福音は東方世界へ(107)大秦景教流行中国碑の現代訳と拓本52 川口一彦
慶(よろこ)んでいます。粛宗皇帝が再び帝位に就くと天の勢いを凌ぐほど日は輝き、闇のような社会が吹き払われて幸いとなりました。幸は皇室に戻り、禍の気は永久に払われました。塵が払われて争いは収まり・・・。
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温故知神―福音は東方世界へ(106)大秦景教流行中国碑の現代訳と拓本51 川口一彦
景教徒たちは決して皇帝支配を否定したり、破壊する意識はなく、皇帝は神に立てられた指導者として認めていました。新約聖書ローマ教会へのパウロの手紙13章前半にある教えを理解していたと考えます。
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温故知神―福音は東方世界へ(105)大秦景教流行中国碑の現代訳と拓本50 川口一彦
<現代訳>高宗皇帝は先祖を引き継ぎ、さらに会堂を築き、広い会堂は中国全土に満ちました。真の教えの景教を宣明し、礼拝は景教指導者によって行われます。人は楽しみと安らぎを受け、物は災難がありません。<解説>高宗皇帝の時代について要略し、景教の働きにより中国は平安であったと記します。
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温故知神―福音は東方世界へ(104)大秦景教流行中国碑の現代訳と拓本49 川口一彦
争乱を払い、唐の天地を拡大されました。輝ける景教は私たちの唐に伝えられると、経典を翻訳し、会堂を建てました。それゆえ、生ける者が亡くなって天国へと導かれました。思いを超えた祝福によって、多くの民は平安であります。
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温故知神―福音は東方世界へ(103)大秦景教流行中国碑の現代訳と拓本48 川口一彦
景教碑では、中国の皇帝は太宗から語られています。なぜなら、初代の宣教師が来唐し、宣教の許可を下し、各地に会堂を建てて展開した時代が太宗の代だったからです。
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温故知神―福音は東方世界へ(102)大秦景教流行中国碑の現代訳と拓本47 川口一彦
この部分は景教碑を建てる理由と目的が記されてあります。すなわち、神と人に献身的に仕えた伊斯の活躍が景教を立派にしたことで、彼の献身的内容を忘れないために、勲功を記録することが目的でもあったことが第2部の最後に書かれました。
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温故知神―福音は東方世界へ(101)大秦景教流行中国碑の現代訳と拓本46 川口一彦
当時の中国は安史の乱で混乱しており、一部のソグド人たちの安禄山ほかが反旗を翻して玄宗や粛宗皇帝を攻めたとき、中央アジアのバルクから来た伊斯が、事情に精通し、文武に長けていたことから用いられました。
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温故知神―福音は東方世界へ(100)大秦景教流行中国碑の現代訳と拓本45 川口一彦
この部分には、景教碑を建てる理由と目的の1つが記されてあります。それは、神と人に献身的に仕えた伊斯の活躍が、中国景教を再建し、立派にしたこと、その献身的内容を忘れないために記録保存することでした。
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温故知神―福音は東方世界へ(99)大秦景教流行中国碑の現代訳と拓本44 川口一彦
伊斯の活躍は、仕えるしもべとして、会堂維持のために金品をささげ、多くの信徒の支えとなり、貧しい教会の大きな力と励ましの証しとなりました。この主体的行為は、主の愛を知った者の行為であり、その恵みの行為によって神にささげる者がさらに起こされていきます。
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温故知神―福音は東方世界へ(98)大秦景教流行中国碑の現代訳と拓本43 川口一彦
郭子儀が765年にリーダーとなって、ウイグル軍の協力を得て吐蕃らの軍を平定したときに従軍したのが伊斯でした。この時代は、中国西側方面が不安定となっていました。唐軍はなぜ彼を従軍に召し出したのか。
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温故知神―福音は東方世界へ(97)大秦景教流行中国碑の現代訳と拓本42 川口一彦
中央アジアのバルクより中国の都長安に来た景教徒の伊斯は、信仰者として立派に生き、与えられた賜物の武術や芸能が生かされ、唐の皇室に招かれるや高く評価される人物でもありました。
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温故知神―福音は東方世界へ(96)大秦景教流行中国碑の現代訳と拓本41 川口一彦
皇帝から官位を授けられた高官で、恵みに満ちた景教徒の伊斯はどんな人物だったのでしょうか。彼の存在と働きが当時の景教徒の励みや力となっただけでなく、唐の皇室においても大きな働き手でした。
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温故知神―福音は東方世界へ(95)大秦景教流行中国碑の現代訳と拓本40 川口一彦
景教徒たちの徳が実際的に証しされていたことが伺えます。そして、その手本となる指導者が次に紹介されます。皇帝から官位を授けられた高官で、恵みに満ちた景教徒の伊斯という人物です。
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温故知神―福音は東方世界へ(94)大秦景教流行中国碑の現代訳と拓本39 川口一彦
国の政策が国民に目を向けるなら国は発展していくが、皇帝の傲慢で政治を行うなら民は苦しみ、争いや犯罪が横行する。この時代は慈悲の心で苦しむ民に手を差し伸べたことが書かれています。
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