<解説>
両側面にはシリア文字で指導者の名前が彫られています。左側面には景教碑を見に来た人物が、景教碑があまりにもよく造られていたのを感動して、シリア文字の上に楷書体で書き込みました。それを訳すと、「(碑が建立された781年から)1079年後(つまり1859年、咸豐9年[1859~60]のこと、中国清の時代)、武林(武林は現在の杭州)の韓泰崋が見に来た。幸いに文字が完全に整い、重ねて碑亭を造り覆った。惜しいことに亡くなった友人の呉子苾方伯が見に来れず、嘆くばかりである」となります。
次に上段のシリア文字と漢語を記しました。以下の僧とは指導者で、牧師または長老を指します。大徳曜輪はシリア語で、マール・ヨハナン、大徳は主教または主任牧師。僧日進は、牧師イサク。僧遙越は、牧師ヨエル。僧廣慶は、牧師ミハエル。僧和〇(=土へんに口)は、牧師ジョージ。僧思明は、牧師マハダ・グースナサ。僧寶達は、牧師ムシャダ。僧拂林は、牧師エフライム、父祖ダビデ。僧福壽は、牧師モーセ。シリア語の読みは、唐代ではどのように発音したかは不明で、カタカナ表記も不明な部分があります。(シリア語はセム語と同じ右から左に書いて読む)
※ 参考文献
『景教—東回りの古代キリスト教・景教とその波及—』(改訂新装版、イーグレープ、2014年)
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