シルクロード、マリンロード、ステップロードはバイブル・メシアロード
ユーラシアの東西交流の道は、絹の交易で知られるシルクロード、海沿いの道で知られるマリンロード、北方の遊牧民の草原を駆け巡ったステップロード(草原の道)があり、さまざまな民族や交易で盛んな交流がありました。
シルクロードの名称は、ドイツの地理学者で探検家のリヒトホーフェンが1877年の『China』で用いて初めて世に出たもので、それまではシルクロードの用語はありませんでした。その後、シリアのパルミラで中国の漢の時代の錦織物が発見され、東アジアと西アジアが交流、交易していたことが分かりました。
各地域では発掘が行われ、東西のユーラシアでの貿易や文化、民族の交流などが行われていたことが分かるようになり、今ではドローンを使って埋もれた地質を調査発掘し、遺構を発見しています。
西方のキリスト教では、イスラエルから西のヨーロッパでギリシャ語、ラテン語が普及し、主イエスの弟子たちによる福音宣教も盛んになされていき、それらは新約聖書の使徒たちの活動や書簡で知られています。
1世紀には福音が東西に拡大し、主を信じる弟子たちが各地で起きていました。宣教が拡大していった理由に、誰もが読めるコイネーのギリシャ語が普及し、道路網が整備されていたこと、ユダヤ人の会堂が各地に建てられ、旧約聖書がヘブル語や現地語のギリシャ語で読まれていたことが挙げられます。離散したユダヤ人への宣教が行われて、ユダヤ人以外の異邦人のうちにも主の弟子たちが多く起きていきました。聖書の写本も発見されています。
一方で東方のイエス・メシア教では、使徒トマスや70人の弟子たちの中の一部が東方へ福音を伝えていきました。そこにも多くの離散したユダヤ人がいて、会堂で福音を語り、イエスを待望のメシアと信じた集まりが起きていきました。東方地域の言語はアラム語、シリア語で、旧約時代のアッシリアの言語が生きていました。シリア語とアラム語とヘブル語は同属語で読みも書くことも似ています。南インドでは今も礼拝でシリア語が使われています。
イエスは昇天の前に、全世界に出て行きすべての造られた者に福音を伝えるよう弟子たちに命じ、弟子たちは西方だけでなく、東方にも、南方にも、東西南北に伝えていきました。弟子たちは誰もが聖書を読めるように後々にぺシッタという簡素なシリア語新約聖書を文書化し普及させました。シリア語聖書や十字架の金属性のもの、シリア語で書かれた十字を刻んだ墓石も多く発見されています。唐代の中国ではシリア語で書かれた墓石や石碑が発見され、シリア語が東方に、それとみられる一部が日本にも伝播しました。
福音の伝播や普及とともに多くの民族や文化、多くの学問、貿易、医療なども発達させました。このように見ますと、シルクロードという呼び名に並行して、バイブル・メシアロードが私たちにふさわしい呼び名ではないかと考えています。
※ 参考文献
『景教—東回りの古代キリスト教・景教とその波及—』(改訂新装版、イーグレープ、2014年)
旧版『景教のたどった道―東周りのキリスト教』
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