それで、イエスはこう言われた。「ある身分の高い人が、…自分の十人のしもべを呼んで、十ミナを与え、彼らに言った。『私が帰るまで、これで商売しなさい。』…さて、彼が王位を受けて帰って来たとき、…最初の者が現れて言った。『ご主人さま。あなたの一ミナで、十ミナをもうけました。』主人は彼に言った。『よくやった。良いしもべだ。あなたはほんの小さな事にも忠実だったから、十の町を支配する者になりなさい。』…もうひとりが来て言った。『…ふろしきに包んでしまっておきました。あなたは…きびしい方ですから、恐ろしゅうございました。』」(ルカ19:12~21)
私たちは神様に選ばれた者です。そして、与えられた使命があることを忘れてはいけません。そのことを学ぶために、今日はイエス様の「ミナのたとえ話」といわれる聖書箇所からお話をいたします。
ある身分の高い主人が、その地方の王として任命を受けるために、遠く離れた世界帝国の都へと長い旅に出掛けました。長く不在となるため、彼は10人のしもべたちを集め、一人一人にそれぞれ1ミナ(現在でいうと100万円〜200万円ほどの価値)を配り、自分が留守の間にお金を管理して商売をするように言いつけて出掛けました。
主人が戻って来て精算を始めると、最初のしもべは、初めの1ミナが10倍になるほどにもうけていました。2人目のしもべは、5倍にしてもうけました。主人は、この2人にそれぞれ10の町、5つの町を支配するようにされました。3番目に現れたしもべは、1ミナをそのまま主人に返しました。主人のことを「計算の細かい、きびしい方」だと恐れ、預かったお金に手をつけることもできなかったと言うのです。主人はそのしもべを、本人が言った言葉通りに裁きました。この物語から、3つのことを学びましょう。
1. 神様が与えてくださった賜物を用いる
主人が10人のしもべに1ミナずつ平等に与えられたということに注目しましょう。そして、与えられたミナをしもべがどのように用いたのかということが重要でした。与えられた1ミナを用いたしもべたちは、それまで奴隷だった者が町の支配者になるという桁違いのご褒美を主人から頂きました。私たちも、神様から与えられた命と賜物を精いっぱいに用いながら生きていくならば、神様は桁違いの祝福を与えてくださいます。神様から頂く祝福とは、私たちが想像できるものをはるかに超えた祝福なのです。
2. ひねくれて逆恨みしない
3人目のしもべは、主人の否定的な情報を使って自分が何もしなかった言い訳にして、自分に与えられたものをまったく用いませんでした。弱い私たちは、何もしないことを正当化しようとしてしまいます。このしもべの言葉を聞いて、主人はきっと悲しんだことでしょう。なぜそんな不確かな情報を信じるのか、もし本当にそんな主人なら、1ミナのお金をしもべに預けたりはしないでしょう。
驚くほどの大金ではない1ミナであっても、いくらでも用いることができます。用い方次第で奴隷が町の支配者になったのです。その可能性、チャンスを無駄にして、チャンスを与えてくれた人を逆恨みするのは、何と情けないことでしょうか。私たちは何歳であっても、神様の栄光を現すことができます。今の状況にふてくされたり、ひねくれるのはやめて、この反面教師のように絶対ならないように気を付けましょう。
3. あなたならどうしますか?
10人のしもべがいたはずですが、4人目、5人目はどうなったのでしょうか? 4人目はあなたではないでしょうか? あなたならどうしますか? あなたが神様から100万円もらったら、何に使いますか? 神様によって恵みは与えられますし、賜物が与えられています。しかし、どう用いるかは、自分で体験するしかありません。主なる神から与えられている命を感謝して用いながら、神に喜ばれる成果を生み出せるように歩もうではありませんか!
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