日本に景教を紹介した人々には何人かあり、その人物について取り上げたいと考えています。2人目はゴルドン女史(Elizabeth Anna Gordon、耶利沙伯・安那・戈登、1851〜1925)です。
ゴルドンは景密同祖論を唱えた人です。景教は密教に影響し、密教は景教と同じという独自の宗教論を唱えました。その証拠に、和歌山県高野山奥の院に自費で明治44年に大秦景教流行中国碑(模刻)を建て、隣にゴルドンの墓碑も建っています。特に景教碑の上部の裏面には、西安碑林博物館の景教碑原碑にはない密教の曼陀羅が彫られ、関連の文字も彫られていることが大きな証拠です。
もう一つは、彼女が書き残した『弘法大師と景教碑』という小冊子です。その表紙(左)と裏画像を貼り付けました。これは大正4年4月3日発行で仏教学者の高楠順次郎が和訳しました。それを筆者が分かりやすく現代語に訳して、拙著『景教』(イーグレープ、2014年)に掲載しています。
彼女の家系には議員や聖職者がおり、27歳の時、保守系議員で富裕家のJ・E・ゴルドンと結婚し5人の子をもうけました。
さて、ゴルドンの心になぜ碑の建設というビジョンが起きたのでしょうか。彼女は1870年代に比較宗教学者のマックス・ミュラー教授に出会い、日本から英国に学びに来ていた仏教学者の南条文雄や高楠順次郎らにも会ったことがきっかけで日本の宗教文化に興味を抱きました。そして1891年に世界旅行中に来日し、日本を見て大変感動したようでした。当時は日英同盟が盛んで、彼女は英国の書物を多く日本に寄贈しました。特に太平洋戦争の時の戦火で焼失する前の日比谷図書館には「日英文庫」があり、一部の公立図書館や私立大学図書館には寄贈された図書があり、当時は日英親善に尽力しました。
1919年に再来日し、仏基同じという習合宗教・混合宗教観を持ち、やがて密教と空海に傾倒し、キリスト教を捨てて仏徒に転向し、灌頂(かんじょう)も受けました。晩年は京都に住み、1925年6月17日京都ホテルの一室で死去しました。
景教研究者の佐伯好郎は、彼女の仏教徒転向について次のように語っています。「碑の建立後ゴルドン夫人は景教の事は忘れてしまっている。精神的に少し狂っていたように思う」と。
著者は2001年4月15日に高野山に出向いて管理人様の許可を得て拓本しました。それについては次回にお伝えします。
※ 参考文献
『景教—東回りの古代キリスト教・景教とその波及—』(改訂新装版、イーグレープ、2014年)
旧版『景教のたどった道―東周りのキリスト教』
中村悦子「E・A・ゴルドンの人と思想」(『比較思想研究』第21号、1994年)
森睦彦「ゴルドン夫人と日英文庫」(『東海大学課程資格教育センター紀要』第1号、1991年)
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