人々は病人や悪霊につかれた人をみな、イエスのもとに連れて来た。こうして町中の者が戸口に集まって来た。イエスは、さまざまの病気にかかっている多くの人をいやし、また多くの悪霊を追い出された。…イエスは、朝早く…寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた。シモンとその仲間は、イエスを追って来て…「みんながあなたを捜しております」と言った。イエスは彼らに言われた。「…福音を知らせよう。わたしは、そのために出て来たのだから。」こうしてイエスは、…福音を告げ知らせ、悪霊を追い出された。(マルコ1:32~39)
2021年、真夏の日々の到来です。暑さにもコロナにも負けず、イエス様によって、日々、喜び、明るく、楽しく歩んでまいりましょう。東京オリンピックが始まりました。開会式を見ていると、コロナ渦の中、一堂に会することはとてつもなく大きな価値があると感動しました。やはり人間は、アダムとエバ以来、みんなと一緒に歩むように造られていると思います。聖書の物語を見ると、神様の御前に集う信仰者の姿があり、一堂に会することが大切だと教えています。今日の箇所から、5つのポイントを見てみましょう。
1. イエスは人を引き寄せるお方
病を癒やし悪霊を追い出す、救い主であるイエス様の周りには、人々がどんどん集まってきました。それが人々とイエス様との関係でした。イエス様は近づきがたく、遠くから尊い教えを語るお方ではなく、人々を引き寄せるお方、基本的にいつも人々と共におられるお方でした。私たちの信じるイエス様は、そういうお方だということを思い起こしましょう。
2. イエスもその中にいます
「ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです」(マタイ18:20)。私たちが信仰を持って集まれば、最少人数でも主は共にいてくださいます。一般社会では、何人以上集まらないと有名人を呼べなかったりしますが、私たちが信仰を持って集まるならば、主は共にいると言われるのです。これはクリスチャンに与えられた素晴らしい恵みです。主は交わりを好まれ、私たちが集まっているのを喜んでくださいます。
3. 教会の原点は一緒に集まること
聖霊降臨の使徒2章では、ペテロたちの上に聖霊が降り、彼らは変えられ、イエス様を証しし始めます。人々は救われ、仲間に加えられました。彼らは一緒にいて衣食住を共にします。信仰者の実生活の基本は、品行方正に生きるとか、聖書の研究をしていることではなく、教会に集まり、共に祈り合い、励まし合い、伝道し合う、一堂に会することに大きな価値があるのです。教会の原点はここにあります。
4. 集まりは祈りを生み出し奇跡を生む
使徒12章でペテロたちが牢に捕らえられていたとき、「大ぜいの人が集まって、祈っていた」のです。すると、御使いによって助け出される奇跡が起こります。ペテロは、主が御使いを遣わして救い出してくださったと分かり、彼らが集まっている所へ向かいます。集まりは、私たちに与えられている霊的な力を発揮させます。祈りを生み出し、聖霊の力を生み出し、神の力を引き寄せます。私たちは、共に集まることによって、本当の力が出るようになります。
5. 集まり続けよう
初代教会が誕生してから、何十年もたって書かれたヘブル書は、教会に宛てた書簡です。その10章25節に「いっしょに集まることをやめたりしないで」とあるように、何十年も教会に通ったからもういいのではなく、むしろ集まり続け、聖霊の力で満たされ、互いに励まし合い、主によって祝福されましょう。教会の生命線は集まりにあります。この夏、共に集まる価値を頂いて前進しようではありませんか!
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