すると、ペテロは…彼の右手を取って立たせた。するとたちまち、彼の足とくるぶしが強くなり、おどり上がってまっすぐに立ち、歩きだした。…人々はみな、彼が歩きながら、神を賛美しているのを見た。(使徒3:6~9)
ペテロはこれを見て、人々に向かってこう言った。「…神は、そのしもべイエスに栄光をお与えになりました。…このイエスの御名が、その御名を信じる信仰のゆえに、あなたがたがいま見ており知っているこの人を強くしたのです。イエスによって与えられる信仰が、この人を皆さんの目の前で完全なからだにしたのです。」(同12~16)
毎年のように日本中で大雨による被害が出ています。ここ愛媛県でも、3年前に西日本豪雨の影響を受けました。皆さんが自然災害の被害から守られますように。この夏も、命が与えられている喜びを持って前進してまいりましょう。何より、コロナウイルスに対する恐れや不安が原因で心の病にかかり、人生を無駄にすることがありませんように。引き続き感染症対策は必要ですが、私たちの喜びが奪い去られてしまうことがないように気を付けましょう。
今日の聖書箇所は、ヨハネとペテロが祈りをささげるためにエルサレムの神殿に向かう途中に「美しの門」の前で物乞いをする生まれつき足のなえた男と出会い、その男を癒やす話です。私たちは信仰の中心であるイエス様に焦点を合わせてまいりましょう。イエス様がおられなければ私たちが癒やされることはなく、さらに、救われることもなかったのです。自分の思いや努力ではなく、ただイエス様によって私たちは癒やされるということを素直に感謝したいと思います。この箇所から3つの癒やしのポイントを学びましょう。
1. イエス様の御名による祈り
ペテロは「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい」と語りました。ペテロの力によってこの足なえの男が癒やされたのではなく、主イエス・キリストの御名で祈ったことによって癒やされたのです。
イエス様の御名には力があり、病む人を回復させることを感謝します。その御名は全ての名に勝る名であり、救い主の力と権威を帯びています。そして私たちが御名によって祈るとき、どんな不可能なことでも可能になることを信じましょう。癒やされるためには、イエス様の御名による祈りが必要なのです。
2. 御名を信じる信仰
ヨハネやペテロは、主イエス・キリストの御名を信じる信仰を持っていました。そしてその信仰により、足のなえた男は癒やされたのです。
ヨハネやペテロには、学歴や家柄、身分を証明するものなどは何もありませんでした。私たちもヨハネやペテロと同様に、弱くて何もない平凡な存在です。しかし、私たちはイエス様の御名を信じています。御名を信じる信仰を持つ私たちには、聖霊の働く力が注がれることを感謝します。
3. イエス様によって与えられる信仰
救いと癒やしの根拠は、イエス様にあることを知りましょう。イエス様は私たちの身代わりとなって罪を背負い、贖(あがな)ってくださいました。イエス様は、計り知れないほどの愛あるお方なのです。それだけでなく、イエス様は目には見えなくても今も生きて働いておられ、私たちと共にいてくださいます。
足なえの男は、これまでイエス様の話を聞いたことなどなかったのでしょう。もちろん信仰も持っていなかったと思われます。それでも、イエス様によって信仰が与えられ、ヨハネとペテロの信仰によって、男は癒やされました。
全てはイエス様によって始められ、イエス様によって実現するのです。私たちは今日、イエス様に焦点を合わせましょう。イエス様の御名を信じる信仰によって祈り、癒やされましょう!
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