律法は私たちをキリストへ導くための私たちの養育係となりました。・・・信仰が現れた以上、私たちはもはや養育係の下にはいません。あなたがたはみな、キリスト・イエスに対する信仰によって、神の子どもです。バプテスマを受けてキリストにつく者とされたあなたがたはみな、キリストをその身に着たのです。ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男子も女子もありません。なぜなら、あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって、一つだからです。(ガラテヤ3:24~28)
梅雨の時期、雨を感じたら「恵みの雨」と覚えましょう。作物を成長させるための雨だけでなく、私たちの実生活を潤す恵みの雨が注がれていることを思い描き、信仰を持って祈り求めましょう。私たちの必要は満たされますし、神様は私たちの心を見ておられます。
時に、苦手、できないと思い込んでしまい、先入観や思い込みから抜け出せないなと感じることはありませんか。神の恵みはいつも豊かに与えられているのに、自ら恵みの可能性を制限しては残念です。イエス様を信じることにより、神様が私たちを大きな恵みへと導き入れてくださることを、今日の聖書箇所にある2つのポイントから知りたいと思います。
1. 福音によって救われた
イエス様が現れる前は、律法という掟を与えられていて、その掟を守る以外に神様に近づく方法はないと教えられていました。しかし人間は、心の奥底から罪人であったために、誰一人として律法を完全に守ることができず、神のもとに導かれることはなかったのでした。神様はそんな私たちのために、御子イエス・キリストをこの世に送ってくださり、私たちの罪、汚れの身代わりとなってイエス様が十字架に架かり死んでくださいました。それにより、私たちの罪は清められ、罪から贖(あがな)い出されたのです。
イエス様を信じるならば、福音によって救われます。神様の恵みの中に導き入れられる喜びを体験し、永遠の命が与えられていることを感謝しましょう。
2. キリストを着る
私たちは、それぞれの個性や特徴があります。最近では、その多様性ばかりが取り沙汰されますが、「キリストをその身に着た」のなら、イエス様の命や愛で覆われて、キリスト・イエスによって私たちは一つとなるのです。神の民となるなら、ありとあらゆる恵みの相続人です。この世においても霊の世界においても神から約束されている恵みを受けることができるのです。かしらはキリストであって、キリストの御旨にかなうように私たちは一つになって、キリストの体の各器官として祝福されていることを喜びましょう。
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