使徒たちを呼んで・・・イエスの名によって語ってはならないと言い渡したうえで釈放した。・・・使徒たちは、御名のためにはずかしめられるに値する者とされたことを喜び・・・イエスがキリストであることを宣べ伝え続けた。(使徒5:40~42)
イエスご自身が彼らの真ん中に立たれ・・・言われた。「なぜ取り乱しているのですか。どうして心に疑いを起こすのですか。わたしの手やわたしの足を見なさい。まさしくわたしです。わたしにさわって、よく見なさい。霊ならこんな肉や骨はありません。わたしは持っています。」(ルカ24:36~39)
イエス様の十字架から50日目である五旬節の日に、120人の人々と弟子たちが集まって祈っていると、突然天から聖霊が降(くだ)りました。彼らは聖霊に満たされ、大胆にイエスの福音を宣べ伝える者へと変えられました。そして教会が誕生し、2千年たった今でも、キリストを信じる私たちの上に聖霊の恵みが確かに注がれています。
今日読んだ2つの書物は、どちらもルカが書いたといわれています。ルカ24章では、弟子たちの前によみがえられたイエス様が現れてくださったにもかかわらず、彼らはイエス様を幽霊ではないかと思って取り乱します。イエス様のよみがえりを疑ったのです。しかし、使徒2章で聖霊の恵みを頂いた弟子たちは、変えられました。捕らえられ、皮膚が裂けるほどムチを打たれて迫害されても、使徒たちは「御名のためにはずかしめられるに値する者」とされたことを喜び、ますますイエス様の福音を宣べ伝え続けました。わずかひと月程度の間に、彼らは同一人物とは思えないほど変えられたのです。聖霊を受けた弟子たちの姿から、人は変えられることを知りましょう。
1. 恐れは喜びに変えられる
使徒2章には、弟子たちが「毎日・・・喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美し」(46、47節)ていたことが記されています。イエス様の死後、イエス様の弟子であることを悟られないよう、ひっそりと隠れて集まっていた彼らが抱えていた不安や恐れは、喜びと賛美に満たされた毎日へと変えられました。
2. 大胆に行動する者へと変えられる
イエス様を裏切り、イエス様のよみがえりを目の当たりにしても弱気だったペテロでしたが、聖霊により、人々の前でイエス様の復活を大胆に証しする者へと変えられました(使徒2:14)。
3. 証しする者へと変えられる
そして、そのペテロは、悔い改めてイエス・キリストの名によって受けるバプテスマには、聖霊を受ける約束が伴っていることを知らせました(使徒2:38、39)。鶏が鳴く前に、3度「イエスを知らない、私とは無関係です」と言ったペテロに、「イエス様こそが救い主である」という証しの言葉が与えられました。
4. 神の御業が伴う者へと変えられる
使徒4章で弟子たちは「この方以外には、だれによっても救いはありません・・・天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていない」(12節)と断言します。そして、弟子たちが御名によって祈るとき、多くの人が癒やされていきました。
ただ1人や2人、ごく少数の弟子が変えられたのではありません。弟子たち全員が変えられました。イエスのよみがえりを目撃していないパウロも、変えられた一人です。使徒の働きの記事には、弱い者でも変えられることが証しされています。
なぜ変えられたのでしょう? 人の力ではありません。神の霊である聖霊に満たされたからです。聖霊の恵みにあふれるとき、私たちも同じように変えられます。イエス様の十字架と復活だけで話を終えてしまうことがありませんように。天から降る聖霊によって、私たちも主の証し人として変えられてまいりましょう。
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