そこで、ペテロは十一人とともに立って、声を張り上げ、人々にはっきりとこう言った。「ユダヤの人々、ならびにエルサレムに住むすべての人々。あなたがたに知っていただきたいことがあります。どうか、私のことばに耳を貸してください。今は朝の九時ですから、あなたがたの思っているようにこの人たちは酔っているのではありません。(使徒の働き2:14、15)
雨の多い梅雨の時期ですが、雨を見たときは神様からの恵みの雨として感謝しましょう。
100メートルくらいもある淡路島の観音像が、老朽化が激しく、上って自殺する人もいて危険なので取り壊すことになったそうです。造った人は亡くなり、経済破綻して、その像は国の管理になっていて、取り壊し費用が実に8億8千万円。人の手で作った偶像を拝むのはむなしいばかりです。それに対し、手で造られた偶像ではない、天地宇宙を創られた真の神を信じるクリスチャンには、イエス・キリストが神から与えられ、私たちの罪のために死んでくださっただけでなく、聖霊も与えてくださり、神ご自身が弱い私たちと共にいてくださるのですから感謝です。
今日の箇所は、ペテロが聖霊を受けて初めて公の場で語った言葉です。2章のはじめに聖霊が降り、聖霊に満たされたことによって何が起こったでしょうか。人が変えられたのです。弱かった弟子が、主の証人とされ、使徒と呼ばれるようになり、世界全体を変えるまでにされたのです。
ペテロは、過越祭から50日後の朝9時に、語り始めました。聖書の語るこの午前9時の出来事を自分のものとして受け止めたいのです。聖霊の恵みを受け止めることがどれほど素晴らしい出来事か、4つのことを確認しておきましょう。
1. 分かち合う者に変えられる
ペテロは人々の前に立ち、声を張り上げ、「あなたがたに知っていただきたいことがあります」と言いました。それまで迫害を恐れて人の目から隠れていた彼が、聖霊の体験をするやいなや、それを人々と分かち合いたいという方向に変えられたのです。福音を人々に分かち合いたくなる聖霊体験を私たちも与えられようではありませんか。
2. 証ししたい言葉が与えられる
彼は、はっきりと自分の言葉で証ししました。イエスを裏切ってしまい、イエスから「私を愛しているか」と問われたとき、あなたがご存じですとしか答えられなかった臆病だったペテロが、聖霊を受けて、自分からすべての人にはっきりと証しし始めたのです。聖霊が降ってできるようになるのは証しです。証しの言葉が与えられ、表現できるようになるのです。
3. 信仰の仲間を感謝できる
聖霊をプライベートな体験だと思っていませんか。聖霊の体験は共に分かち合い、皆で強められるのです。ここには120人ほどいましたが、その全員に聖霊が与えられたことを主に感謝します。聖霊はキリストのからだ、すなわち教会全体に及びます。聖霊が働くとき教会の皆が祝福されます。
4. 朝の9時の体験
ペテロは、朝の9時だから酔っているのではないと言いました。人々に、酔っているように見えたのはなぜでしょう。聖霊を受けた弟子たちが皆、リアルな喜びと躍動感にあふれ、陽気に生き生きとしていたからでしょう。主の御霊に満たされて、私たちもこのような体験をしたいのです。これを2千年前の出来事として片付けるのではなく、革命的なペテロたちの霊的体験を私たちも自分のものとして体験することができるように祈っていこうではありませんか。
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