あなたがたについては、もっと良いことを確信しています。それは救いにつながることです。神は正しい方であって、あなたがたの行いを忘れず、あなたがたがこれまで聖徒たちに仕え、また今も仕えて神の御名のために示したあの愛をお忘れにならないのです。そこで、私たちは、あなたがたひとりひとりが、同じ熱心さを示して、最後まで、私たちの希望について十分な確信を持ち続けてくれるように切望します。それは、あなたがたがなまけずに、信仰と忍耐によって約束のものを相続するあの人たちに、ならう者となるためです。(ヘブル6:9~12)
クリスチャンである私たちは、神の導きの中で、御霊の働きに支えられて歩めることを感謝し、前進する者でありたいと思います。
ヘブル人への手紙の著者は、イスラエルの律法の時代からイエス・キリストの十字架の贖(あがな)いと聖霊の力まで知っているヘブル人のクリスチャンたちに向けて語っています。この前の箇所では、イエス様の十字架の救いを体験しながらも、その救いを忘れてしまった人々がいることを明らかにしています。そして今日開いた部分で、何度も振り出しに戻ってしまうような信仰者ではなく、クリスチャンの信仰生活は成長し続けるべきである、どのような困難の中でも立ち止まらず、イエスが共におられるのだから前進し、成長しようではないか!と語っています。
このコロナ禍の事態は、私たちの信仰の姿勢が試されていると感じます。困難な状況にあるからこそ、私たちは信仰を働かせましょう。神様の御名を呼び求めて、救いを体験しましょう。恐れるだけでなく、信仰に立って戦い、主と共に前進する私たちであるために、3つのことを確認してまいりましょう。
1. 神は私たちの信仰の在り方をご覧になる
イエス様はたとえ話で、主人の不在時に手を抜き、予想外の時に帰ってきた主人にその様子を見られてしまう僕(しもべ)のようであってはいけない、日々忠実に仕える僕は幸いであるとおっしゃっています。
神は、私たちの日々の行いや考え方、人々との接し方、そしてどれだけ信仰によってチャレンジをし、主を信じて真剣に生きているか、日常のすべてをご覧になっています。このコロナ禍では、さまざまな不自由や制限があるでしょう。その中でも、神は私たちが、日々クリスチャンとしてどのように生きるかをよくご覧になっていることを知りましょう。
2. クリスチャンとして力強く歩む
私たちは、調子が良いときだけ熱心なクリスチャンであってはいけません。どんな状況にあっても、永遠の命が与えられていることへの希望を持ち、燃やされた信仰を持って歩んでまいりましょう。コロナ禍で、必要以上に自粛し過ぎて信仰が低調になっている方は気を付けましょう。気付かないうちに悪魔の罠にはまっているかもしれません。常に信仰を燃やして歩むクリスチャンでありましょう。
3. 良き信仰者に倣う者となる
新約聖書の中には「倣う者」とよく記されています。私たちは、良き模範に倣う者となり、成長していく者でありたいと思います。
人は、学ぶことができます。そして学ぶことは、まねることから始まるのです。赤ちゃんが周りの大人たちを見て歩き出し、語り掛けを聞いて話し出すように、まねて学ぶことは人間に与えられている命の恵みです。私たちはクリスチャンとしての信仰を学び、成長していきたいと思います。その時に大切なのは、誰を模範としているかということです。学ぶべき対象を、しっかりと意識してまいりましょう。
死に至るまで忠実に歩んだ先輩たち、熱心な兄弟姉妹や伝道者たち、また、聖書に記されている人物たちは、人としては弱く、罪深い存在であっても、私たちにとっては良いモデルです。もっともっと高い模範となる信仰者たちの祈りや証しの姿勢、力強く歩むさまを目標として、私たちも前進してまいりましょう。
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