ひとりの人がイエスのそば近くに来て・・・言った。「主よ。私の息子を・・・お弟子たちのところに連れて来たのですが、直すことができませんでした。」・・・イエスがその子をおしかりになると・・・その子はその時から直った。そのとき、弟子たちはそっとイエスのもとに来て、言った。「なぜ、私たちには悪霊を追い出せなかったのですか。」イエスは言われた。「あなたがたの信仰が薄いからです。・・・もし、からし種ほどの信仰があったら、この山に、『ここからあそこに移れ』と言えば移るのです。どんなことでも、あなたがたにできないことはありません。(マタイの福音書17:14~20)
私たちが生かされていることは、神様の憐れみによるものであり、私たちは神様の前に成長を期待されていることを感謝します。癒やしについても、私たちは信仰を働かせ、イエス様の癒やしを心から祈り求め、クリスチャンとしての成長を心掛けたいと思います。そして、イエス様によって私たちの信仰がさらに引き上げられ、信仰が整えられるように祈りましょう。
今日の聖書箇所は、弟子たちの愚かさ、足りなさが記されているだけでなく、イエス様が期待し励ましてくださっていることを学び、3つのポイントを確認して私たちも信仰を整え直しましょう。
1. イエス様はどんな病でも癒やせる
弟子たちは、悪霊に取りつかれた息子の癒やしを求めて祈りましたが、何も起こりませんでした。しかしイエス様は、すぐさま癒やされました。人には解決できないことや、厄介な病でも、イエス様に解決できないものはひとつもありません。
この時代から2千年たち、文明が進歩した今でも、人は万能になったわけではなく、できないことが山ほどあります。しかし主は、弱さや罪深さを抱えている私たちと共にいてくださり、私たちの祈りを受け止め、どんな病も癒やすことを約束してくださいました。私たちは、今も100パーセントの救い主、癒やし主であるイエス様を信じています。イエス様の御名によって祈るならば、私たちの祈りは必ず受け入れられます。
2. イエス様は私たちに期待している
イエス様は悪霊に取りつかれた息子を癒やしたと同時に、「いつまであなたがたといっしょにいなければならないのでしょう」と、弟子たちの不信仰を嘆かれました。イエス様は、信仰を持つ弟子たちの祈りであるならば、病は癒やされるはずだ、弟子たちが神の御名を呼び求めて祈るならば、イエス様と同じ癒やしが起こって当然だと考え、期待しておられたのです。だから、弟子たちが何もできなかったことに対して嘆かれたのです。その嘆きは、単に弟子たちへの嫌味や怒りの言葉ではなく、「もう少し信仰を働かせよ」という、イエス様の期待の裏返しでした。
私たちも、祈りが答えられない状況を受け入れてしまってはいませんか。イエス様は「どうして不信仰のままなのか」と、嘆いておられます。イエス様は、私たちに期待しておられるのです。
3. イエス様は私たちを励ましてくれる
イエス様は私たちに、からし種ほどの小さな信仰があれば、どんなことでも、できないことはないと語られています。信じる者の祈りにイエス様は応えてくださり、不可能は可能になると、励ましてくださっています。イエス様は、私たちが「山に向かって動いて海に入れ」と命じれば、それが実現するほどの信仰の力を与えてくださっていることを受け止めましょう。
イエス様が天に昇られてからの弟子たちは、信仰が強められ、祈りは応えられ、力強い癒やしの御業を体験していくのでした。イエス様の御言葉は、私たちの信仰を鼓舞し、励まし、勇気づけてくださいます。天地宇宙を創られた神の御業が行われる信仰が私たちに与えられているのです。私たちも信仰の再構築を願い、成長を祈り求めてまいりましょう。