米カリフォルニア州南部の都市チノにあるインランドヒルズ教会(礼拝出席者数約2500人)で主任牧師を務めていたアンドリュー・ストークレインさんは2018年8月25日、うつ病に苦しみ、30歳の若さで自ら命を断った(関連記事:米メガチャーチの30歳牧師、うつ病で自殺 教会が声明「彼は今後も人々を導くでしょう」)。3人の幼い息子たちと共に残された妻のカイヤさんは、キリスト教界から精神疾患や自殺に対する「烙印」を取り除くことが、自身の神から与えられた使命だと考えている。
「これまでキリスト教界では、精神疾患は祈れば消え去るもの、あるいは癒やされ得るものだと考えられてきました。うつ病に苦しむ人が神と十分な時間を費やしたり、信仰の強い人たちが周囲にいてくれたりするなら、それが可能だと」
「多くの人は、本当のクリスチャンはうつ病や不安、自殺願望に苦しむことはないと信じています。しかし、それは正しくありません。実のところ、うつ病は物理的な疾患です。脳内では化学的なアンバランスが生じているのですが、当人がそうなることを選んだわけではありません」
「イエス様を愛する私たちは、暗闇やうつ、不安、自殺願望の中にいる人たちを真に愛するよう召されています。私たちは(その人たちに)寄り添い、耳を傾け、真の理解を示すよう努めなければなりません。そうして初めて、私たちは愛と思いやりと共感をもって、その人に関わることができるのです」
うつ病の夫を亡くしたカイヤさんにとって、精神疾患に苦しむ人たちのために発言することは他人事ではない。
アンドリューさんは亡くなるわずか数日前、教会の礼拝で最後の説教を取り次いだ。説教の中でアンドリューさんは、うつと不安の体験について、また、それにキリスト教界が対応することの重要性について詳細に語っていた。
「アンドリューが亡くなった直後に私は気付きました。自殺は彼があえて意思したことではなかったのだと。彼の自殺は、もともと彼のうちにあった病気や深い痛みの結果だったのです」とカイヤさんは話す。「私は初め、その痛みがどのようなものだったのか分かりませんでした。でも、彼が亡くなってから私自身も自殺願望に苦しみ、初めて分かったのです。それは耐え難いほどの痛みで、それから離れるには死ぬしかないと感じるほどです」
「自殺」という言葉は、往々にして恥辱で覆われているとカイヤさんは言う。「自殺で死んだ人は天国に行けないという誤解があります。しかし、アンドリューの場合、死に方とは無関係に彼が永遠の中に受け入れられたことを私は知っています。それ(彼の救い)は彼が生前、イエス様と持っていた関係に依存しているのです」
アンドリューさんは2015年、牧師であった父ががんで亡くなった後、父が牧会していたインランドヒルズ教会の牧師職を引き継いだ。しかし、複数のストーカーが付きまとうようになり、一家ですぐに引っ越さざるを得なくなった。アンドリューさんは健康に支障を来すようになり、それが精神的なダメージにつながった。その結果、アンドリューさんは教会の長老会から4カ月間の休暇を取るよう強いられた。
アンドリューさんは初め、時折パニックで発作を起こす程度だったが、それが心身を消耗させる重い発作となり、最終的にはうつ病との激しい闘いとなった。
「私は彼の世話をするようになりました。朝は重い雰囲気でした。誰が部屋から出てくるのか、私には分からなかったからです」とカイヤさんは話す。「彼が幸せなのか悲しいのか、私には分かりませんでした。彼は何か楽しいことをしたいのだろうか、それとも一日中寝ていたいのだろうか。いつも雰囲気が重く感じられました」
アンドリューさんは、インランドヒルズ教会の主任牧師の職務に戻ったわずか2週間後に亡くなった。
統計によると、牧師の50パーセントは、職務上のニーズを満たすことができていないと感じている。さらに、90パーセントは訓練が不十分なため、働きに伴うニーズに十分に対応できていないと感じている。そして45・5パーセントは、休みをもらわなければならないほどのうつや燃え尽き症候群を経験したことがあると答えており、70パーセントは親しい友人と思える人が誰もいないと回答している。
「これらすべてがアンドリューに当てはまっていたといえます」とカイヤさんは言い、「(夫は)自分が教会という重荷を負っているように感じていました」と続けた。アンドリューさんは、個人的な生活と仕事を分けて考えることに困難を感じていたという。「彼にとっては、手に負えない状況になっていきました」
アンドリューさんは教会全体に支えられていると感じてはいたが、教会スタッフの間に「分裂」があり、それが大きな負担になっていたという。「教会スタッフ間の問題は、サタンが最も力を入れる領域の一つです」とカイヤさんは強調した。
「教会のスタッフ間に一致が必要です。神は、あなたの牧師に教会を牧する使命を与えました。皆さんがなし得る最善のことは、牧師のために祈り、思いやりを示し、牧師を気遣うことです。問題が発生するたびに牧師を責めてはいけません」
「牧師の働きは本当に大変で、(人の力では)不可能に近いものであり、牧師を支えてくれる存在が必要です。アンドリューは牧師を支え、重荷を軽くしてくれるチームを作ろうとしていましたが、うまく行きませんでした。それが彼のつまずきとなり、彼は孤独を感じていました」
今月、新著『狂気となった恐れ:精神疾患と自殺、喪失を通しての希望の物語(原題:Fear Gone Wild: A Story of Mental Illness, Suicide, and Hope Through Loss)』を出版したカイヤさんは、同著の中で喪失の過程をつづっているが、それ自体が「痛み」を伴うものであったことを認めている。
「私は著書に書かれている言葉と同じくらい多くの涙を流したと思います。しかし、その涙には大きな癒やしの力がありますので、私にはそうする必要がありました。癒やしの過程をすべて書き留めることは、私の癒やしにとても役立ちました。それを息子たちに分かち合う日が、いつか来ると思います。神は私にそうする力(癒やしの過程を書き留める力)を与えてくれました」
同著は、数通の手紙で始まる。カイヤさんがアンドリューさんの死後数カ月の間に、アンドリューさん宛てに書いたものだ。アンドリューさんが亡くなってから数日後に、自身のブログ「God's Got This」に一通目の手紙を公開したが、それに対する読者の反応は驚くべきものだった。
「アンドリューに関する証しが、読者たちの経験する暗闇に深く届き、読者の命を(自殺から)救ったと、多くの人がコメントしてくれました。私はそれに励まされて、私の証しや悲嘆(グリーフ)の旅路、また、自殺や精神疾患、うつ病について私が学んでいたことを分かち合い続けました」
著書は、まだ進行中の癒やしの過程の中で書かれたもので、カイヤさんは「アンドリューの良き思い出は今も鮮明ですが、彼の死の痛みがいまだに生々しい状況」だと述べている。
「著書全体の背後にある私の心は、アンドリューの人生は彼の死にざまではなく、彼の生きざまで定義されるのです」とカイヤさん。「神は痛みを無駄にしません。私たちの悲劇が誰か他の人の勝利となり、私たちの証しが暗闇の中に届き、他の人の命を救うことを願っています」
カイヤさんは、精神疾患に苦しむ人々に役立つ「実用的な手立て」を、著書を通して提供することが自身の目的だとし、著書自体が「ただの悲しい話」になることは望んでいないと強調する。
「私の願いは、苦しみの中にある人たちと共に歩む方法や、自殺願望を持つ人に対する応答の仕方を示すことであり、精神疾患に関して誰もが知っておくべきことを明確にすることです」
うつや不安に苦しむ人は、それを「誰かに話す」べきだとカイヤさんは勧める。
「それ(心の痛み)を頭の中で最小限に抑え、大したことではないと考え、押し込めてしまうことはたやすいことですが、それ(心の痛み)は現実のものです。その痛みを誰かに話してください。友人や専門家、家族にあなたの痛みを伝えてください。一人で抱え込む必要はありません。心を開いて助けを求め続けてください。どのようにして痛みに耐えればよいのか、神に尋ねてください」
カイヤさんは精神疾患のある人と同居する人たちに対して、忍耐と寛容さと透明性を示すよう勧めている。カイヤさんが後悔しているのは、自身の痛みを多くの人と分かち合えなかったことで、そのために「極めて孤独に」感じたと言う。
「すべてを自分一人で抱え込む必要はありません。自分を気遣う余裕を持ち、自分を満たすすべを見つけてください。心の内を吐露し続けるためです。自分のことを気遣っていないと、精神疾患に苦しむ人を気遣うこともできません」
カイヤさんと3人の息子は現在、「見事に立ち直って」おり、悲しみと喜びが均衡した状態で暮らしているという。
「アンドリューの死の痛みと喪失は決して消えないでしょう。それは私たち家族の人となりの一部です。ですから、私たちは心の中に喪失を持ち続ける余裕を見いだして、喜ぶことを選び、美と笑いを追い求めています。私たちは、そのすべてを同時に感じることができるようになりました」
「私はアンドリューと結婚したときに、自分が望むすべてのものを手に入れました。私はとても素晴らしい人生を過ごしていました。そして彼の死とともにその素晴らしい人生も死に、私には新しい人生が手渡されました。私の願いは、いつの日か今ある人生を見返して、それが素晴らしいことに気付くことです」