2013年秋、米ジョージア州ワーナーロビンズ在住のテディー・パーカー・ジュニア牧師の妻は、自宅の玄関先で「拳銃自殺をした」夫を発見した。多くの人が愕然(がくぜん)とした。パーカー牧師はそれまで自殺を認めておらず、教会員をよく戒めていたからだ。
「パーカー牧師は自殺に反対する説教をしていましたので、ともて驚いています。自殺には真っ向から反対していました。ですから、会衆は理解できずに戸惑っています」。当時パーカー氏が牧会していたビブ・シオンの山バプテスト教会(同州メイコン)の教会員、ラッセル・ローランドさんはそう話す。
「今は誰もが愕然としています。なぜこんなことになったのか、理解しようと努めている人が多いと思います。私たちはこのことに関して、主の導きを祈り求めているところです」
パーカー牧師が亡くなった数カ月後の14年4月、今度はノースカロライナ州ハイポイントにあるコミュニティー聖書教会のロバート・マッキーハン牧師が自宅で首をつっているのが発見された。マッキーハン牧師はパーカー牧師と同じ42歳で、2児の父親でもあった。
しかし、牧師の自殺はこれだけではなかった。
過去5年間に、驚くべき数の牧師たちが自ら命を絶った。しかも、自殺率は全米規模で高まりを見せており、それは幾つかの聖職者のグループでも見られていたが、多くの教会はこの問題について沈黙したままだ。
パーカー牧師の自殺から3週間後の13年11月にはエド・モンゴメリー牧師、さらにその3カ月後にはアレン・トミー・ラッカー牧師が自殺した。そしてその2カ月後に起きたのが、前述のマッキーハン牧師の自殺だった。またそれから1カ月もたたないうちに、D・B・アントリム牧師が自ら命を絶ち、その3カ月後には、ウィリアム・ビル・スコット牧師が妻のシャーロットさんを銃で殺害し、自らも銃で自殺した。
15年5月には、「テキサス州バプテスト総連盟」の前会長であったシュガーランド・バプテスト教会(同州シュガーランド)のフィル・ラインバーガー牧師が自殺した。その3カ月後の15年8月にはセス・オイラー牧師、16年8月にはローレンス・ラリー・デロング牧師、16年12月のクリスマス直前にはダニエル・ランダル牧師が自殺した。ランダル牧師は27歳の娘クレアさんと共に命を絶った。そして昨年12月、岩なるキリスト・コミュニティー教会(ウィスコンシン州メナシャ)のビル・レンツ主任牧師が、3カ月におよぶうつ病との壮絶な闘いの後、自ら命を絶った。レンツ牧師は主任牧師の他に、自殺予防の専門家としての経歴も長かった。
悩ましい統計
米疾病管理予防センター(CDC)の機関である米国立保健医療統計センター(NCHS)が発表した2016年の報告(英語)によると、1999年から2014年までに、米国の年齢調整自殺率(人口の年齢構成の変化の影響を排除した数値)は24パーセント増加し、10万人当たりの自殺者は10・5人から13人となった。特に2006年以降に急増している。報告によると、自殺率は男女とも、75歳以上の高齢者を除いて10歳から74歳のすべての年齢層で増加した。1986年から99年までは、自殺率が低下する傾向にあったが、99年を境に増加に変わり、この30年で最悪の水準だという。この劇的増加を実数で見ると、全米における自殺者の総数は、99年は2万9199人だったのが、2014年には4万2773人に増加した。
自殺で死亡した人の中に含まれる牧師の正確な人数は不明だが、全米労災死監視システム(NOMS、英語)には、1999年、2003年~04年、07年~10年における約400万人の死亡記録が含まれており、自殺した牧師の人数の推定値が報告されている。これは、23の州人口統計局とNCHSが米国立労働安全衛生研究所(NIOSH)に提供したデータで構成されている。危険な状態にある集団の人口データが入手できず、正確な死亡率を計算できない場合、NIOSHはPMR(Proportionate Mortality Ratios:全死亡者数に占める50歳以上の死亡者の割合)を計算している。
「PMRは、一般人と比較して、その職業で自殺する人が多いかどうかを示します。PMRが100を超える場合、その職業では他の職業と比較して(自殺の)平均的背景リスクが高いと考えられます」。CDCの米国立傷害予防対策センターでヘルスコミュニケーションの専門家として働くジュリー・エッシェルバッハ氏はそう説明する。
性別や人種の区別を除外したすべての聖職者のデータを見ると、PMRは70で平均を下回った。しかし性別や人種によってデータを細分化した場合、黒人男性の聖職者と白人女性の聖職者のPMRは110と平均を超え、白人男性の聖職者のPMRは52にとどまった。
牧師のメンタルヘルスに関して調査するカウンセリングの専門家からも、牧師の自殺をめぐっては懸念の声が上がっている。
米国クリスチャン・カウンセラー協会で専門家開発担当副会長を務め、有資格の臨床心理学者であり、牧師でもあるジャレッド・ピングルトン氏は、牧師の自殺を具体的に調査した研究については把握していないとしつつも、次のように述べた。
「(聖職者の自殺率が)一般の国民以下でも私は驚かないと思いますが、仮に高いとしても驚かないでしょう」
米南部バプテスト連盟の顧問を務める臨床心理学者チャック・ハンナフォード氏は2016年、改革派の団体「ザ・ゴスペル・コウアリション」(TGC)のウェブサイト(英語)で、30年にわたる臨床経験から、自殺する牧師が増え、問題が深刻化していると述べている。
「牧師は危険な仕事です」とハンナフォード氏は言う。「特に、神学的に保守的な福音派には、うつ病や否定的思考を霊的な問題と決め付けてしまう牧師がいるからです」
沈黙する教会
クリスチャンポストは、本記事で触れた牧師の自殺をそれぞれ報道してきたが、牧師の遺族や遺された教会員をケアしている教会スタッフは、特に自殺発生後の数日間から数週間は、自殺について公に話し合うことを避けている。
例えば、ビブ・シオンの山バプテスト教会の役員を務めるレイクシア・トゥーマーさんは、2013年にクリスチャンポストに次のように話した。
「これはご家族と当教会の間のプライベートな問題だと、私たちは考えています。ですから一般の方々にあられては、今しばらくの間、私たちのプライバシーを尊重していただけますよう、よろしくお願い致します」
それから4年余りが過ぎた今年2月、牧師を自殺で失った経験から何かを分かち合えないかと尋ねたところ、新任のポール・リトル牧師は、まだ適切な時ではないと答えた。
「私は何かしたいとは思っています。遺族を傷つけないようにしなければなりません。自分たちの思いを語る必要があるとは思っていますが、タイミングに敏感である必要があります」
自殺や他の精神疾患について公に議論することを避けようとする教会の姿勢は、問題が尾を引いてしまう理由の1つだとピングルトン氏は言う。
「こうした反応は、『沈黙・恥ずかしさ・不名誉』という、精神疾患に関する『聖ならざる三冠(unholy trifecta)』と私が呼んでいるものです。特にこれは自殺において顕著に見られ、耳を塞いだような沈黙があります。また、(自殺者が出たことを)あらゆる場面で恥ずかしく思い、それが創世記3章に見られるように、自分を隠す要因になります。次に、精神的な問題や人間関係の問題による不名誉があります。というのは、自殺は人間関係上の問題だからです。単なる精神的な問題によるものではありません。自殺は、自己中心や最後の復讐といった、究極の行為だとよく言われます。愛する人に自責の念を抱かせようとするのです」
「沈黙を終わらせ、恥ずかしく思うことを根絶し、不名誉を拭い去る必要があります。というのは、対処しなければならないことがまだたくさんあるからです。1つの地域教会だけで取り組む問題ではありません。『あなたには十分な信仰がありません。あなたは聖書を十分読んでいません。あなたはもっと多く祈る必要があります』。こういうことを糖尿病やがんを患っている人に言うことはありませんし、薬を飲んではいけないとも言いません」
米ライフウェイリサーチの2014年の調査(英語)によると、プロテスタント教会の主任牧師の66パーセントは、精神疾患についてほとんど会衆と話し合わない。この数字には、精神疾患について「ほとんど触れない」または「まったく触れない」と答えた49パーセントが含まれている。「年に1度だけ精神疾患について話す」と答えた牧師は16パーセントおり、急性精神病に苦しむ人の支援には時間がかかりすぎるとして、こうした人々に対して消極的な牧師は22パーセントいた。
ミズーリ州セントルイスにあるカベナント神学校のフランシス・A・シェーファー研究所の常勤研究者で、キリスト教研究と現代文化の教授でもあるジェラム・バース氏は、親しい関係にあった牧師3人を自殺で亡くしている。
72歳になるバース氏は「多くの教会が感情的問題や精神的問題を十分取り扱わない」ことは知っているとし、この問題に関して沈黙することは大きな問題だと言う。
「ほとんどすべての教会が、この問題をもっと適切に取り扱う必要があると思います。非常に重い病気の人や精神的に病んだ人たちが、居心地がよく歓迎されていると感じられる教会はほとんどありません。リチャード・バクスター(17世紀の英国で活躍したピューリタンの牧師、神学者)は、現代において教会は単なる病院だから、それをよく覚えておいたほうがいいと言いました。良い教会はそうあるべきです」
親友だった牧師が約25年前に自殺したことについて話すに当たり、バース氏は牧師の名前や教会名を明かせないことへの理解を求めた。その牧師が、会衆にはほとんど知られていない個人的な罪と闘っていたためである。