「自殺をケアするということ~『弱さ』へのまなざしからみえるもの」と題したシンポジウムが3月26日、同志社大学で行われた。同大社会学部の木原活信教授の「自殺とケア研究会」が7年間の研究成果をまとめた『自殺をケアするということ』(2015年)の出版記念として企画された。
この日はまず、日本基督教団牧師で日本自殺予防学会理事長、日本いのちの電話連盟創立者の斎藤友紀雄氏が「自死者の名誉回復」と題して、日本の自殺予防の歴史について講演した。
ドイツ人宣教師が始めた「いのちの電話」と自殺対策の歴史
日本では1971年にドイツ人女性宣教師のルツ・ヘッドカンプ氏によって、自殺予防を目的とする「いのちの電話」が設立された。ルツ氏は売春防止法で居場所を失った女性たちをケアする施設で働く中で、女性たちが情緒的・身体的に困難を抱え、しばしば自殺未遂を図ることを体験し、そのケアのためにドイツで始まった「魂への配慮」といわれる電話相談を参考に、「いのちの電話」を設立した。その後、全国に拡大し、教会を越えて市民運動となった。現在、相談員は7千人以上になるという。
同じ時期に、カトリック信徒で精神科医の増田睦郎(りくろう)氏が自殺予防の研究会を組織し、学問的な研究を始めた。これが、現在の自殺予防学会の前身となった。
1991年には、日本政府が初めて自殺対策を立ち上げ、二つの柱を立てた。第一は「メディカルモデル」(医学的な対応)。自殺をする人には、うつ病など何らかの精神疾患のある人が多いためだ。第二が「コミュニティーモデル」。困難を抱えている人が、夜中でも専門家に電話相談できるような体制だ。
近年は電話ですら相談するのが怖いという人たちが増えたため、2007年からはネット相談を始めるなど、さまざまなメディアを使い、相談の網を広げているという。
自死遺族へのケア
活動開始当初、日本では自殺予防の意識や自死遺族のケアという発想はほとんどなかったという。しかし、当時、斎藤氏が米国の自殺予防学会に出席すると、精神医学・法医学・社会学の研究者だけでなく、家族を失った自死遺族が民間のボランティアとして、悲しみを超えて生き生きと仲間たちと励まし合い、自殺予防に取り組んでいる姿があり、とても感動したという。
その後『suicide and Its aftermath(自殺のその後)』(ジョン・マッキントッシュ著)という本によって、「自殺の連鎖」が指摘されるようになった。日本では1986年にアイドルの岡田有希子さんの自殺や、同年の中野富士見中学いじめ自殺事件によって全国に自殺の連鎖が広がり、青少年の自殺は806人と60パーセントも激増した(この前後の年は500人程度)。
岡田さんの自殺では、写真週刊誌が血の飛び散った現場の様子を写真で大きく報道し、愛知の大河内清輝君自殺事件では、夕刊が一面で遺書を大きく報じたことで、自殺の連鎖との関連性が指摘され、マスメディアの責任が問われた。その後、WHO(世界保健機関)は、自殺の連鎖に関する報道の指針を打ち出し、日本でもマスメディアの自殺の扱い方はかなり控え目になった。しかし、自死遺族へのケアは、いまだ大きな課題として残されていると斎藤氏は指摘した。
米国のサバイバー(自死遺族)支援
米国では、自殺予防学会やSOLOS(サバイバーズ・オブ・ラブワン・スーサイド=愛する人を亡くした遺族)という組織が財団を構成し、議会でロビー活動を行って自死遺族支援のための新しい法案がつくられた。
「自死遺族」でなく「サバイバー」という言葉が使われ、残された家族だけではなく同じ教室の学生たち、自殺者が出た地域全体を指す。「自殺は特定の個人だけでなくコミュニティー全体の課題」として捉えられており、この視点が日本では欠けてきたのではないかと斎藤氏は指摘した。
日本政府は2001年に初めて自殺対策を立ち上げ、06年には自殺対策基本法の中で自死遺族支援が初めて明記されるようになり、07年には自殺対策総合大綱が決定された。「日本でもサバイバーの人を支援する発想がようやく定着しつつある」と斎藤氏は述べた。
自殺予防の歴史と偏見との戦い
斎藤氏は、自殺予防の歴史を振り返った。中世、自殺は神から与えられた命を自ら奪う犯罪であり「自らに対する殺人」とされ、遺体はソリに乗せられ町中を見せしめに引き回され、最後は坑道に埋められるという、犯罪者の処遇だった。
しかし17世紀に英国セントポール教会の国王付き司祭だったジョン・ダンが著作『Life Mind Art』の中で、「自殺は全て罪ではなく寛容をもって処遇し、葬儀や埋葬も教会で行われるべきである」と訴えた。(ただしこの本は生前迫害を恐れ公表されなかった。)
また同時代のシェークスピアの戯曲「ハムレット」には、自殺したオフィーリアの葬儀に参列した兄が司祭に「たったこれだけか?」と粗末な葬儀に憤っているシーンがある。シェークスピアが自殺者に同情に満ちた理解を示していることを感じさせるものであり、これを知り斎藤氏は大変感動したという。
世界で最初に自殺予防活動を始めたのは、英国国教会の牧師チャド・バラー(1911~2007年)がロンドンの教会の中に創立した「サマリタンズ」という相談室だった。また精神家として著名な医師だったリンゲルによって最初の自殺学会がつくられた。
日本ではカトリック信徒の増田睦郎医師が10人の小さな研究会を始めた。(現在は500人を超える医師が参加、今年5月には東京で初めての自殺予防国際学会が開催される)
これが市民運動にまで広がっていき、1971年に「いのちの電話」が始まった。相談室室長として30年間電話相談に身をささげた精神医学者の稲村博氏や、自死遺族のケアのために尽力した平山正実医師も大きな役割を果たしたと、斎藤氏は述べた。
自殺予防と若者支援
斎藤氏は現在、電話相談と並行して青少年健康センターで引きこもりの支援をしており、文京区と世田谷区では約150人の若者が集まって活動している。中心となっている斉藤環(たまき)医師は、投薬や施設入所が全てではなく、まず彼らの言いたいことを聞き、共に生活して心を捉え、薬は最後という方針をとっている。
また最近は、北海道のべテルの家で向谷地生良(むかいやち・いくよし)氏が統合失調症の患者に始めた新しい試みとして広がっている「オープン・ダイアローグ」を取り入れ、医師も患者もスタッフも対等の目線で課題を担う姿勢を大事にしているという。
最後に斎藤氏は、「自殺も引きこもりも、心の弱さを抱えている若者の支援が共通の課題です。『自殺予防』という言葉は行政の視点ですが、本当に必要なのは『ケア・温かいまなざし』ではないでしょうか。そのためには『弱さ』そのものを認識することが必要です。しばしば『もっと強くなれ』という言葉が掛けられますが、それは押しつけであり、かえって心の負担を与える。『弱さこそ本当の強さである』と私は認識しています。対等な目線で成長と自立を祈って支える。大変なことですが自殺予防を支える新しい役割として頑張っています」と締めくくった。
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