自死・自殺のために苦悩を抱える人々に寄り添う気持ちを育むことを目的として、宗教や宗派を超えて宗教者がメッセージを掲げながら京都市内を行進する催し「Life Walk」が1日に行われ、宗教者約30人とボランティア10人の計40人が約3キロの道のりを行進した。
京都市は、2016年の自殺対策条例によって3月1日を「京都いのちの日」と制定している。これに合わせて浄土真宗本願寺派覚円寺副住職で「NPO法人京都自死・自殺相談センター Sotto」副代表の霍野廣由(つるの・こうゆう)さんなどが中心になって昨年から始め、今回で2回目となる。
午後3時からは京都市下京区の真宗佛光寺で開会式と宗教者によるトークセッションが行われた。開会式で霍野さんは、宗教者は自死の苦悩を抱えた人々と直接関わることが多いが、時には教義や考え方でひどく傷つけられたと感じる人も多く、さまざまな宗教や教派の中にあって寄り添い、支えとなろうとする宗教者が必ずいること、どのような宗教であれ、苦悩する人に対する慈しみのまなざしを向けていること、宗教者も自分の考えを押し付けるのではなく、相手の苦しみを聞くことの大切さを自覚すべきだとして、悩みを抱えた人々の相談や、自死・自殺遺族の人々を支える活動があることを、このイベントを通して発信したいと語った。
トークセッションでは、浄土宗の池口龍法さん、臨済宗妙心寺派の河合宗徹さん、救世軍西日本連隊長の太田晴久さんが、宗教者の立場から自死について語った。
太田さんは「私自身が息子を27歳で自死で亡くした自死遺族でもあります。牧師という立場でありながら、そのような経験をした人生の痛み悲しみをどう乗り越えるか、そういう方と一緒にどう捉えていくかが自分自身の問題でもあります」と述べた。
キリスト教の中では、旧約聖書の出エジプト記のモーセの十戒の6番目として「汝殺すなかれ」と定められている。人を殺めると同時に自分の与えられた命を奪うのも戒められている。禁じられている以上、罪になるのか。しかし、新約聖書では罪に対する救い、赦(ゆる)し、憐れみが書かれ、イエス・キリストはその弱い私たちに代わって十字架にかけられた。それがあるからこそ今でも教壇に立ち、赦しの神によって歩んでいると太田さんは語った。
太田さんの息子は、うつ病を患い苦しむ中で亡くなったが、教会で「他の青年たちに悪い影響を与えるかもしれないから、密葬で済ませたらどうでしょう」と心無い言葉を掛けられたこともあるという。しかし、ある人から「病気でお亡くなりになったんですね」と言われ、息子が病気による病死だったことに気付き、教会で普通に葬儀を行い、200人が参列してくれたという。そこから「残された遺族の気持ちを汲むときに1つの言葉が非常な重みを持つこと」を実感したという。遺族への慰め、励ましの言葉を通して神の憐れみと励ましを感じたからこそ、今でも牧師を続けていると感じるという。
太田さんは、「私も若い頃は牧師として、信徒で自死した方について、自死を『罪』として遺族に語ったこともありました。それを今振り返ると、本当に申し訳なかったと深く反省しています。今は最善を尽くして『葬り』を行い、遺族の方に寄り添うことの大切さを思います。励まし、支え合い、祈り合うことが、ご遺族の人には生きる力になると思っています」と語った。
そして「聖書の中には、『天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。生まれるのに時があり、死ぬのに時がある』という言葉があります。生まれる時と死ぬ時は私たちの手の中にはありません。生きている間にさまざまな悲しみも経験するけれども、自分の生きざまの中で見つめていく課題であり、生きる証しをしていかなければならないのだと思います。宗教とは生きざま、死にざまの問題そのものなのだと思います」と語った。
河合さんは、自死の遺族から「亡くなったあの人はどうなっているのですか」と尋ねられることもしばしばあるとして、次のように語った。
「その時はすぐには答えず、まずはご遺族がどのようなお気持ちで問われているのか、お話を傾聴するようにいたします。ある僧侶がご遺族に『浄土に行っています』と答えたら、『私はそんな遠くに行ってほしくない』と答えられました。『安心してください』と答えると、『じゃあ私も自死していいですね』と答えられたこともあります。どう答えるかではなく、ご遺族がどのような思いで問うているかを感じることが大切なのだと思います」
「僧侶として生きる意味をしばしば聞かれますが、『生かされている苦しみ』を語った方がいて、とても驚き気付かされたことがあります。人間はすでにこの世界に投げ出されている存在です。生きる目的について究極的なものを考えてしまうと、時に人は生きていけなくなります。しかし、人は関係性によって救われることがあります。自分のことを『思われる』『心配される』ことが救いになることがあります。関係存在によって支え合い生きることが、『生きる意味』につながるのではないでしょうか」
トークセッションの後、午後4時からは、宗教者30人とボランティア10人が佛光寺から東山区の知恩院まで約3キロの道のりを、自死・自殺念慮で苦しむ人々へのメッセージを掲げながら約1時間かけて歩いた。
また、昨年初めて作成された宗教・教派を超えた宗教者からのメッセージを集めた冊子『自死の苦悩を抱えた方へ 宗教者からのメッセージ』の第2集が完成したことも発表された。