前回のこのコラムで、岡上菊栄に対する地域の人々の目が次第に変わってきたことを記しました。園児たちを捨て身で養育する菊栄を、尊敬の目で見るようになってきたのでした。そして、いろいろな人が応援をするようになっていきました。
ある時は、子どもたちの栄養のために時々は牛乳を飲ませてあげたいと思って、近くの牛乳屋から買ってくることがありました。月末になって新米の小僧が集金に来ました。菊栄は労をねぎらって快く代金を支払いました。ところがその晩、小僧はこっぴどく主人に叱られました。
「ナニ、慈善協会のおばあちゃんから、牛乳代を集金してきたんだと!?何で行く前にわしにいわんぜよ。あのおばあちゃんから金をもらわれん。金を取ってどうするぜよ。おばあちゃんは自分が飲むのじゃなく、子どもに飲ませている。そんな殊勝な人がどこにおるか。今後、おばあちゃんから金はもらうでない!!」菊栄は地域で「慈善協会のおばあちゃん」として知られるようになっていったようです。
菊栄は園児のみならず、卒園していった子どもたちのことも常に心の中で心配していました。そして、その子どもたちがどうしてもお金が必要なとき、菊栄は高利貸しの所へ足を運ぶこともあったようです。そして借金を申し込むとき、ここの女主人はこう言ったそうです。
「返済のことなどちっとも気にしないでいいですから。岡上先生が社会のためにどんなご苦労をされているのか、私どもは十分承知しています。先生のお蔭でたくさんの子どもたちがまっとうな人間になっていることを考えたら、私どももできることは喜んでさせていただきます。どうぞどうぞ、一人で苦しまないでください。いつでもお気軽にお越しください」と。
女主人は太っ腹に構えて、金の工面をしていたのでした。菊栄にとって女主人は最大の理解者、影のスポンサーと呼べる存在でした。このように菊栄の働きを陰で支える理解者や支援者が地域で次第に増えていったようです。まさにイエス・キリストが言われたように「与えなさい。そうすれば与えられます」というお言葉の真実が菊栄の働きを通して分かるような気がします。
(出典:武井優著『龍馬の姪・岡上菊栄の生涯』鳥影社出版、2003年)
◇