今の日本では、学校でのいじめが社会問題となって、いじめを苦にして自殺する子どもが後を絶ちません。菊栄が博愛園で育てていた子どもたちが、外でいじめられて帰ってくることがありました。そんな子どもがいれば、呼んでその子から理由を聞きました。
「孤児、孤児、親なしっ子。汚いぞ。臭いぞ。ヤーイ、あっちへ行け、といわれたぁ。おばあちゃん、もうあて(僕)学校へ行きとうない。行かん、行かん、学校はいやや」。そのような子どもの訴えを聞くとき、菊栄は心を痛めました。菊栄はすぐにそのいじめた子の名前と居場所を聞くと、飛び出して行くのでした。そして、そのいじめっ子を探し出してストレートに注意をするのでした。
「おまさんらぁは、いったいどういう了見で園の子どもをいじめたりするがぞね。うちの子どもはどの子も素晴らしい子どもばっかりよ。親から離れて暮らしていても真面目で一生懸命。そりゃまっことえらいぞね。そんなふうに人を見下げるようでは、おまさんらぁは、先行きロクな人間になれはしない。人は皆、平等、同じです。明日からはいじめたりしないと約束しなさい。おまさんらぁも良い子じゃ。おまさんらぁが立派な人間になるようにこのおばあちゃんが、心から祈っておりますきにね」と諭すと、子どもたちはうなずいたのでした。
菊栄は場合によっては、その足を親許へ伸ばすときもありました。「おまさんところの子どもに、園の子どもが、孤児院の子、貧乏人の子、とえらいさげすまれたそうです。うちの子どもは泣いています。いましがた、おまさんところの子どもに私は言うて聞かせましたが、気になることがあったもので、親御さんにも言うておかなきゃならんと思って。子どものころから人間に上下をつけることや、幸薄き人を嘲笑するような気持ちを持たせてはいけません。気の毒な子どもがいたら、勇気づけたり励ましたりして、仲ようせんといかん。そのところをよくご家庭で話し合ってみてください」
そして菊栄は、言わなくてはいけないことを言った後は、必ず子どもを褒めています。「おまさんところの子どもに会ってみると、性格の優しい良いお子ではないかとお見受けしました。だからきちんと言って聞かせればすぐに分かります」と。どの子も一様に豊かな人間になってもらいたいという菊栄の心が、地域の子どもや親の心に響いていったのでしょう。人々の眼差しが変わっていったようです。
(出典:武井優著『龍馬の姪・岡上菊栄の生涯』鳥影社出版、2003年)
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