安次が菊栄の手によって大切に育てられ、5年がたったときのことです。刑を終えた母親が、安次を引き取りに来ました。その時、母親は45歳になっていました。菊栄は、安次をこの母親に返すことには不安を感じていましたが、「ぜひに」と懇願されればどうすることもできません。菊栄は気のすすまぬまま、心の中で祈りつつ神戸へ帰る母と子を見送りました。
ところが案の定、菊栄を後悔させる話が届いたのです。安次と暮らし始めても、生計のめどを立てられなかった母親はなんと、安次が8歳になるのを待って、工場に売り飛ばしてしまったのです。そして勝手に契約し、安次が20歳になるまでの給金を前払いしてもらっていたのです。ですから、安次は大変な苦労をすることになりました。
奴隷のように無休で働かせられていた安次は、夜ごとに菊栄が歌ってくれていた子守唄を口ずさみながら、8歳で別れた母親の顔を思い浮かべていたのでした。安次が14歳になったとき、とうとう脱出するかのようにして工場から逃げました。母ちゃんに会いたいという一念からでした。しかし、お金を全く持っていない安次は野良犬のように放浪することになったのです。
そうこうしているとき、ある会社の情け深い主人と出会い、その主人が救いの手を差し伸べてくれたのでした。その会社で働きながら母親を探したらどうか、と言ってくれたのです。安次は一生懸命働きました。そして、わずかの休暇を利用して母親探しをしていきました。
幼いころの記憶をたどって神戸のある貧民窟にたどり着きました。昔、母親と住んでいたあばら屋を見つけました。しかし、母親はいませんでした。それから後も探し続けて、大阪の淀川べりの粗末な小屋に着きました。
夜の11時すぎのことです。小屋を一軒一軒のぞいていくうちに、安次は目を見張りました。母ちゃん!そこには汚れた姿でうずくまっていた母親を見つけたのです。喜びのあまり安次は声が出なくなりました。母親は反射的に身を隠すように飛び出しました。安次は叫びました。「母ちゃん、安次は恨んでなんかいませんよ。かわいそうな母ちゃん、孝行しにまいりました!」安次は母を抱いて泣いたのです。
その後、安次は母親と一緒に暮らし、立派な社会人になりました。菊栄が安次の幼い時に注ぎ込んだ教えと愛情が、安次の一生を導くことになったのでした。
(出典:武井優著『龍馬の姪・岡上菊栄の生涯』鳥影社出版、2003年)
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