ある時、サエという10歳の少女が、数人の村の消防団員につきそわれて遠い土地から入園してきました。サエは継母に育てられ、食べる物もまともに食べさせてもらえず、ことごとくつらく扱われたため、継母に対する反逆心から盗み食いをしたり、田畑を荒らしたりし始めました。継母に見つけられると、憎悪のこもった復讐の目つきをして暴れ回りました。
ある日、村人に捕まえられそうになったとき、サエは山中に逃げ込んだのです。それから数年、山に閉じこもった生活をしました。そのため髪はばさばさに乱れもつれ、泥と垢にまみれた着物は渋紙のようになり、裸足の足は傷跡だらけで、園に連れてこられたときは、山猿同然の姿であったそうです。
そんなサエを菊栄は風呂に入れ、髪の毛を一本一本ときほぐし、湯から上がると、糊の利いた寝間着を着せ、長い髪を後ろで結んでリボンを付けてあげました。その姿を鏡に映すとサエはびっくりして、いつまでも眺めていたということです。菊栄はその晩からサエを抱いて寝ました。そして何かと言えばサエちゃんよ、といってかわいがりました。サエが人間性を取り戻すまで、菊栄はじっくりと時間をかけたのです。菊栄は日常のあいさつから始まって、礼儀作法、そして言葉や文字や数字まで教えていきました。
菊栄の下でサエは5年間養育され、次第にかわいい少女になっていったのでした。菊栄の下で、ご飯をきちんと食べさせてもらい、誰もサエを侮辱しないし脅さないし、抑圧することもないことが分かるようになって、サエは必然的に人間らしくなっていったのでした。誰からも憎まれず不当な罰を受けることもなく、自分の人格を認めてくれるということは、少女にとって驚くほどの喜びでありました。
園を出たサエはある家のお手伝いさんとなって働きました。その素直さと純朴さと正直さのゆえによく用いられ、愛されたのでした。サエのことが村人に知れ渡ると、村人たちは驚いて、わざわざ高知にまで出てきてその目で確かめたそうです。その時、菊栄は次のように言ったということです。
「『愛なくして何の教育ぞ』とはまことに輝く真理でございます。愛と理解こそ人間教育のもっとも優秀な武器でございます」と。
(出典:武井優著『龍馬の姪・岡上菊栄の生涯』鳥影社出版、2003年)
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