この著者入魂の著作は、私にとってさまざまな切り口から味わうことが許され、実に心満たされています。第2回の応答として、戸田帯刀神父の母校である旧制開成中学に焦点を合わせたいのです。私自身が、時代は大きく変わり学制が変わったとはいえ、開成高校時代にキリストに出会い、キリストに従う道を踏み出したので、本書でも特別身近に感じる箇所です。
私が直接間接知っている、母校の歴史の関わりの中で戸田神父についての記述を読むとき、圧倒的な事実として迫ってくるのは、著者佐々木氏の取材力の精密さ、時代背景の把握の深さや豊かさです。
甲州の山村からローマへの道程の第一歩として、1913(大正2)年、戸田少年が水の深川の親族のもとに身を寄せ、開成中学への入学試験を受けるくだりなど、深川生まれの私にとっては、一段と人生ドラマの中に没入する思いです。
しかも佐々木氏の時代背景についての描写は鋭いのです。甲州の山村から一少年が東京の私立中学に入学する経済的な道がどのように開かれたか、地元の後援者の経済的支援の推察が展開されます。ですから、神父への道を歩むのは支援者の意に反する厳しい側面を持ったに違いありません。
なぜ「開成中学」であったのか。52ページに提示されているその教育方針「英語教育、進取の気性、開拓者精神」は、興味深いものです。
しかし何と言っても意を引くのは、戸田神父が卒業した年次の142名の多彩さです。佐々木氏は、のちの戸田神父射殺事件などを知り得た立場の人物・町村金五が同級生にいたことを紹介しています。また、開成中学の校内誌に内村鑑三の主張を紹介し反戦論文を掲載した村山知義、さらに戸田神父が射殺される10日前に獄死した、唯物論学者として著名な戸板潤。こうした面々が同級生だったのです。
そのクラスの中で生じた、村山の論文に対する町村の鉄拳制裁の記事が詳しく紹介されています(70~78ページ)。その中で特に意を引くのは、鉄拳制裁から65年後、「村山君を運動場に連れ出し、鉄拳制裁を加えることになった。このとき、われわれの制裁を莞(かん、筆者注・笑顔を浮かべる)として受けた村山君の平然たる態度が今でも強く印象に残っている」と町村が語っていることを著者が引用している点です。
戸田神父をはじめ、それぞれが10代の後半に持っていた思想や生き方が、その後60年、70年と深く影響していくさまを見ます。戸田神父たちのクラスのように際立った実例ではありません。しかし、数十年後同じ母校で10代の日々を過ごし、聖書を通してキリストに出会った私たち、開成聖書研究会のメンバーは現在も共に集い、祈祷会を継続しています。その中で、深い共感をもって戸田先輩の生涯を読み取り、同窓の諸兄にこのような人物がいた事実を広く伝えたいと、思いを新しくしています。
■ 佐々木宏人著『封印された殉教(上)』(フリープレス社、2018年8月)
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