毎日新聞元記者の佐々木宏人氏による、私の母校・開成高校の先輩、戸田帯刀神父の記事を、隔月誌「福音と社会」で数年にわたり読み続けてきました。その連載記事が、ついに『封印された殉教』としてフリープレス社から刊行されました。確かに現時点では上巻のみです。雑誌の連載とは違った、集中的また全体的な視野で読む新たな喜びをもって、この優れた特別な書に直面しています。
著者の佐々木氏は、クリスチャントゥデイの小さな営みに対しても理解を示してくださり、雑誌の連載と平行して、これまでにも貴重な投稿を頂いてきました。
■ 73年目の戸田帯刀神父射殺事件を考える―「赦すこと」と「赦せないこと」 ジャーナリスト・佐々木宏人
■ 「平和」があってこその「信教の自由」―戸田帯刀・横浜教区長暗殺70周年に思う ジャーナリスト・佐々木宏人
私個人としても佐々木氏を通して、真のジャーナリストの問題意識の把握の仕方と、実際的な取材の徹底した継続性の見事な手本を教えられ、敬愛する若い同僚方ともども励まされてまいりました。心から感謝しています。下巻の出版を待ち望みながら、今後何回かにわたって、深い感謝の思いをもって本書への応答をなしていきたいと考えております。
今回はその第1回として、本書をめぐる摂理的な導きの一つを紹介したいのです。それは、本書の第2章「活発な教区司祭」の1項目「信仰を弾圧する戦時体制の露骨」(325ページ以下)に紹介されている西村徳次郎氏の原稿「キリスト教受難回想記」をめぐる事柄です。西村氏は「戦時中カトリックの生殺与奪に力を振った文部省宗教局宗教課キリスト教担当官(カトリック担当)」(326ページ)であった方です。
この西村氏が、取り調べをなす側、いわば弾圧する側であったのに、なんと1944(昭和19)年4月8日、関口教会でシャンボン大司教の司式で洗礼を受けるに至ったというのです。この驚くべき事実を経験した西村氏が書き残した、400字詰め原稿用紙250枚に及ぶ回想記が、生前西村氏が住んでいた鎌倉市の雪ノ下教会牧師、松尾造酒蔵氏に託されました。この驚くべき原稿が、ご子息である吉岡繁先生に引き継がれ、2009年8月15日、編者吉岡繁、著者西村徳次郎『昭和キリスト教受難回想記』として自費出版されたのです。
最晩年の吉岡先生とただ一度、恩師である渡辺公平先生をめぐって文通する忘れ難い特別な機会を与えられました。そのきっかけは、2カ月に1回拙宅で開かれている、海外にある日本語教会のために祈り続ける姉妹方の祈祷会でのことでした。
そこに、吉岡先生のご長男の嫁である吉岡節子姉が属しておられ、たまたま戸田帯刀神父についての佐々木氏の連載記事の話をしたところ、吉岡姉が『昭和キリスト教受難回想記』についてお話しくださったのです。そして、以前からお名前をよく知っていた吉岡先生に、それなりの勇気を奮って手紙を差し上げました。改革派仙台教会をめぐる、渡辺公平先生から吉岡先生へ、そして私のような者へ及ぶ福音の絆に心熱くしたのです。
今回、次の一文を読み、心に刻みました。「意外なことに、この西村徳次郎氏と戸田帯刀師は親しい関係にあり、その洗礼に至る経緯には戸田師の導きがあったと推測できる、といえば驚かれるだろうか」(329ページ)と佐々木氏は記しています。
そうです、小さな点のように見える事実は、確かに線となってつながり、線は面と、面は立体となって、有機的なつながりを覚えます。佐々木氏のこの労作を私なりに熟読し、日本の歴史と「聖なる公同の教会」の重なりを、この点でもあの点でも確認し励まされて、クリスチャントゥデイの営みを続けたいのです。
■ 佐々木宏人著『封印された殉教(上)』(フリープレス社、2018年8月)
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