今回の対話の感謝
インターネットのマイナス面にうんざりすること、確かにあります。それも、かなりしばしば。しかし同時に、インターネットならではの経験も少なくありません。それも、深く思いを越えた経験です。
高校の一後輩が、インターネット上に私が書いたものに「いいね」の応答をしてくださったことを契機に、彼の著作をめぐる対話が展開するのは、まさに好例の一つです。
私たちの共通点は、無知・限界の自覚とその中での探求心と私は理解しています。
さらに私の立場を積極的に言えば、もちろん、何でも知っているわけではない。しかし、何も知らないわけでもない。聖書・神の啓示の言葉を通して物事を認識する恵みを与えられています、感謝です。この立場から、『東大教授が挑む AIに「善悪の判断」を教える方法』で簡潔明快に語り掛けてくださっている鄭雄一先生に応答したいのです。
鄭先生は東京大学の工学部と医学部の教授を兼務しており、その学際的な営みの利点が本書にも生かされているのを確認します。この確認ができるのは、聖書をメガネに万物を認識する神学を専攻する者として、専門分野の枠を越えて探求を続ける小さな営みのためと理解します。
ロボットに「善悪の判断」をつけさせる営みを実現するため、古今東西の倫理・道徳を実に広い視野で検討し、「人間の善悪」の基準を導き出す経過を、6回の講義によって提示している本書、その最初の2回は以下の通りです。
第1回講義:「人を殺してはいけない」という道徳は普遍的だろうか?
第2回講義:これまでの道徳思想を分類してみよう
上記の見事な全体像の提示のカギとして、著者が「物事の全体の構造を捉えるのに役に立つ、『理系の視点』」として、「粗視化(そしか)」を取り入れている事実に注目したいのです。そうです、粗視化とは、物事を分類するために対象と自らの距離を大きく置いて、より大きな特徴をつかむ「物理・化学」での方法です(本書27、28ページ)。
道徳や倫理の分野での課題を考える上で、この理系の視点・粗視化の方法論を著者は、課題の困難な局面に直面する際、繰り返し的確に活用して全体像と細部の両面を提示しています。例えば、35、53、78ページに見る通りで、読む者に快感を与えるほどの明快さです。
上記の倫理の課題を追及する中で、「理系の視点」の方法論的活用は、私自身も経験してきたことです。聖書解釈学を神学校で長く教え続ける中で、1冊の新書版を紹介し続けてきました。木下是雄著『理科系の作文技術』(中公新書624)です。
この小さな書に明示されている、事実と意見の明確な区別と関係の主張は、聖書を解釈する営みにおいても、さらにそこから聖書のメッセージを宣教する説教においても、実に有効な自覚と実践を備えてくれました。その目に見える印は、説教において「思います」との表現を省く戦いです。聖書テキストの事実と仮説の区別、その上で事実を言葉化する営み、そうです、新たな事実となる言葉を刻む歩みです。
鄭先生の本書を読みながら、「聖書をメガネに」の神学の視点が、他の分野になにがしかの利点を与え得ないかとも問われました。とにかく、今回の機会を感謝しています。
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