2014年4月にクリスチャントゥデイの働きに直接参与し歩みを重ねてくる中で、18年4月から、一段低く根底に立って新しい段階へ進む準備をしてきました。編集部門と論説部門の2本の柱を中心に、記者やコラムニストの個性を重視しながら、同時にクリスチャントゥデイとしての統一性が浮き彫りにされるため、戦略的整えがなされてきたと昨年12月の時点では判断していました。
ところが、担当記者の署名など個の尊重が実を結ぶ半面、編集会議がクリスチャントゥデイの各部分と全体にとって、決定的に重要である事実が十分に機能しない実態も生じてきたと自覚します。それは、私たちの礼拝と生活全体を有機的に統括する礼拝の生活において、主日礼拝が中心的重要性を持たなくなると同様に由々しいことです。いずれにしても、1月から3月までの日々の経過を経て、18年4月には、編集会議に参加する人数は14年4月の時点に大差のない3人になりました。
しかし、話は人数が元に戻ったといった落ちではありません。14年3月以前から、目に見えないかたちでクリスチャントゥデイを支えてくださってきたコラムニストの方々に加えて、さまざまな雑音の中で明確な決断をなし、クリスチャントゥデイにあえてコラムを書き続けてきた多様な同労者がおられます。また、3人も、あのマタイ18章19、20節に約束されているように、3人ではなく4人で編集会議に集まっていると感謝しています。意気軒昂です。
その中で、編集会議を中心に、幾つか基本的な展望を抱いています。例えば、編集会議議事録の基本的な公表。また、私たちの置かれた制約や条件を加味しながら、編集会議へ陪席者を迎える準備など。「主のしもべ仲間」(黙示録22章8、9節)としての読者との一体性を大切にする姿勢をさらに確立したいのです。
このような組織的な在り方と同時に、何よりも掘り下げ、求め続けたいのは、意識の問題です。倫理の課題です。
聖書をメガネにと公言する者として、聖書が教えている偽証についての実態とそれに対する自らの姿勢の確立。この根の営みに立って、私たちの先達が歴史的な反省の中から宣言してきた「新聞倫理綱領」を制約の中でも私たちなりに学ぶ。先行のキリスト新聞やクリスチャン新聞の発刊にみなぎる本来の幻、現状、希望から教えられたい。
そうです、私たちが期待したようにではなく、しかし思いを越えた方法でより底に徹して18年4月、一歩歩みを進めたいのです。お祈りいただければうれしいです。
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