インドに古くから伝わる民話があります。
ある所に1人の農夫がいました。彼は遠くの泉から新鮮でおいしい水を汲んでご主人の家に毎日運んでおりました。何キロもある田んぼのあぜ道を歩いて毎日水運びをしておりました。
彼は2つの瓶(かめ)を天秤棒で両肩に担いで運んでおりました。1つの瓶はまだ新しいものでどこにも水漏れをするようなひびのようなものはありませんでしたが、もう1つの瓶は大分古くてあちこちにひび割れがしていて、そこから水が漏れるのです。
それで泉からご主人の家まで運んでいるうちに水が半分くらいにまで減ってしまいます。農夫はこの2つの瓶を使って2年間ほど水運びの仕事を毎日せっせとしておりました。
ある時、農夫が泉でこの2つの瓶に水を汲んで入れていると、ひびの入っている方の瓶が農夫に言うのです。「僕は悲しいよ。せっかく水をいっぱい入れてくれても、ご主人の家に着く頃までには半分くらいに減っているのだから。本当に情けなくてつらくなるよ」と悲しい声で言うのです。
農夫はそれを聞いてひびの入っている瓶に言いました。「そんなことを言わないでおくれ。おまえは随分と働いてきたし、おまえはおまえでいいんだよ。今日、帰り道におまえに見せたいものがあるから、よく見ておくれ」と農夫は言って、いつもの道を、瓶をかついで帰っていきました。
帰り道に小高い丘の上に来たとき、ひびの入っている瓶に農夫が言いました。「今来た道を振り返ってみてごらん」と。すると、その道にはすてきな花が道にそってきれいに咲き乱れているではありませんか。その美しさにひび割れの瓶は少し慰められましたが、それでもやっぱり自分が十分な働きができないことで気持ちがまたすぐに暗くなるのでした。
そのような瓶を見て、農夫が言いました。「おまえはあのきれいな花が道の片側にだけ咲いているのに気が付いたかい。私はお前から水が漏れるのを知っていたから、私は道に沿って花の種を植えておいたのだよ。それで毎日水を汲んで帰るときに、その種におまえの瓶から漏れる水をやっていたんだよ。それであんなにきれいな花道ができたんだ。私が時々そこから花を摘んでご主人の食卓に飾ることができているのも、おまえのおかげなのさ」と言ったのだそうです。
パウロは言いました。「私が弱い時にこそ、私は強いのです」と。
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