何年か前、1人の映画俳優が話したお話を忘れることができません。この方が少年時代のこんな思い出を話されたことがあります。
終戦後まだ間もない頃、食糧事情が悪かったため、多くの人は着物などを持って田舎に行き、農作物と物々交換をしてもらってなんとか生き延びていた時期がありました。この方の父親は確か戦死していたかと思います。母親は病弱で、思うように働くことができません。そこで母親はまだ小さい子どもであった彼に着物を渡して、農家に行って食べ物と交換してくるように言いつけました。
少年は言われるまま、農家を一軒一軒回って、着物を見せては食べ物と交換してくれるように頼んでいきます。しかし、どこも取り合ってくれません。取り合ってくれても、こんな粗悪な着物で食べ物と交換できるか、と吐き捨てるように言う大人もいました。一日中、田舎を回っていきましたが、食べ物と交換してくれる人は誰もいませんでした。
朝から歩き続けて、午後も遅い時間になって、少年はお腹もすいてきたし、のども渇くしで、ふらふらしながら農家を訪ねていきました。そして、とうとうある一軒の農家で、母親の着物と一握りの豆を交換してくれたのです。少年はその豆を両手の中にしっかりと握りしめて、家路につきました。
すると、ある所まで来たとき、村の悪童たちが少年を取り囲み、その手にあるものを出せ、と言うのです。「いやだ!」と言うと、悪童たちは少年に嫌がらせを始め、少年は投げ倒されたのです。その瞬間に両手に握りしめていた豆がその辺りに飛び散りました。しかも、雨上がりの道であったために、豆は泥まみれになったのです。悪童たちが去って行ったとき、少年はその泥まみれの豆を一粒ずつ拾い集めていきました。悔しくて悔しくて仕方がありませんでした。
そんな様子を遠くの生垣の陰からそっと見ていた白髪の老婆がいました。その老婆が少年に手招きしているのです。招かれる方についていくと、老婆は少年を家の中に入れ、いろりの傍らに座らせました。そして、何も言わずに餅をいろりで焼き始めました。やがて餅がふっくらと膨らんできたとき、老婆がひと言、「食べや」と言いました。その時、少年は涙が後から後からこみあげてきて止まらなくなったというのです。
この老婆がしたことは、キリストが多くの虐げられている人々のためにしたことと同じことではなかったかと、私には思えて仕方がありません。
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