数年前にNHKの大河ドラマで黒田官兵衛の生涯が繰り広げられていました。黒田官兵衛がキリシタンであったということが気になり、時々ドラマを見たり、官兵衛についての本を読んだりしてきました。
高山右近より6歳年下であったということですから、戦国時代にザビエルから伝えられたキリシタン信仰に多くの武将たちが入信しました頃、官兵衛も導かれても不思議ではなかったことでしょう。しかし、推測の域を出ない記述が多くて、何が真実であったのかということが分かりにくい面がありますね。
織田信長に仕え、豊臣秀吉に仕えた戦国の武将としてその能力をいかんなく発揮した人であったようです。まだ日本の国が統一されていない時代に、複雑に入り混じる主権の奪い合いの中で、官兵衛はできるだけ犠牲者を少なく統一へと向かう道を模索して働いていたようです。
しかし、ある時、和平交渉に向かった先でとらえられ、牢獄に入れられてしまいます。約1年もの長い間、官兵衛は暗くてジメジメとした土牢の中で身動きもままならず、人を生かす最低限の食物を与えられるだけで、いつ解放されるとも知れない生き地獄のような日々を送ることとなったようです。
なぜ自分がこんな目に遭わなければならないのか、なぜ誰も助けてくれないのか、おれはこれで終わるのか、とぐるぐると結論の出ない思いをめぐらす、屈辱感とやるせなさに打ちのめされ続けていたに違いないと思います。
そんなある日、土牢の柵のところに「藤の花」が咲いていることに気付くのです。彼はその美しく可憐(かれん)な藤の花に勇気づけられて生きる希望を見いだしていったというのです。世間から見放されて死を待つだけとなった人間にも、神様は藤の花を通じて、「生きよ。望みを絶つな」と啓示してくれているような気がしたのでしょう。
このエピソードは陰鬱(いんうつ)極まりない暗闇に光を投じる象徴的な場面として、いろんな小説に描かれているようです。官兵衛の身に自分を重ねて見ると、その心境が分かるような気がしませんか。神様の御言葉がこのような形で迫るとき、私たちは天来の力を得るのではないでしょうか。
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