村岡花子と言えば『赤毛のアン』の翻訳者として有名でありますが、この方がいつごろどんな人生を送られたかについては、私は何も知りませんでした。先日、本屋さんで『アンのゆりかご――村岡花子の生涯』(村岡恵理、新潮文庫)という本を見つけて、やっとこの方のことが少し分かってきました。
明治・大正・昭和の波乱の時期を児童文学の翻訳家、作家として生き抜かれた人であります。2014年にはNHKの連続ドラマで彼女の生涯が取り上げられましたから、かなり広く知られることとなりました。
村岡花子の翻訳の素晴らしさについては定評があります。『赤毛のアン』の作者であるカナダ人のモンゴメリ女史の作品を次々と翻訳していき、日本の青少年に精神的な豊かさを与えてくれた方であります。驚いたことに、村岡花子は76歳になるまで洋行したことがなく、彼女の英語は日本で学んだだけでありました。
明治期に東洋英和女学校に10歳で入学し、20歳になるまでにカナダ人婦人宣教師たちからみっちりと英語とキリスト教を学んだのでした。外国に出たこともなく、赤毛のアンの舞台となるカナダのプリンスエドワード島にも足を踏み入れたこともなく、どうしてあれほどの臨場感あふれる翻訳ができたのか、驚嘆いたします。
東洋英和女学校での教育がいかに優れていたかということと、花子自身の学ぶ姿勢がいかに真剣なものであったかということでしょう。東洋英和では手薄だった日本語の学びは自分で補っていったようです。
『赤毛のアン』を翻訳したのは、太平洋戦争の真っただ中で、灯火管制のもとで、ひたすらこつこつと訳し続け、戦後になって出版されたということです。洗練された家庭文学に飢え渇いていた国民は、花子の翻訳本をむさぼり読んでいったのでした。
彼女の精神的ルーツの中に、キリスト教とカナダ人婦人宣教師たちの友情と教育、そして、家庭文学を日本の少女たちに提供したいという強い使命感があると思いました。
このような方の人生に光が当てられて、こんな日本人がいたということを誇りに思います。
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