最近こんな話を読みました。米国のアパラチア山脈のふもとにある教会が、新しい教会堂を建築しました。土地は1人の教会員が遺言でささげたものでありました。教会堂はやっとのことで完成することができたのですが、駐車場が十分ではありませんでした。
教会堂の裏には山があって、そこを削って駐車場にするという方法がありましたが、資金が底をついてしまいました。市の規則で、駐車場を建設するまでは、新しい教会堂の使用ができなかったのです。そこで、牧師が臨時祈祷会を招集して、特別にこのために祈る時を持ちました。集まった人たちが真剣に祈り、後は神様が導いてくださることを信じて散会しました。
次の日のことです。牧師が執務室で仕事をしていると、教会に来客がありました。その人を中に通すと、次のように言ったのです。「すみません。私はアクミ建設会社のものですが、この近くにショッピングモールを建設する予定です。その予定地を整地するために、どうしても盛土が必要なのです。もしできればお宅の教会の裏にある山を削らせていただいて、土をもらえないでしょうか。土を買わせていただければ、その代金と共に、跡地にアスファルトを敷かせてもらいます。整地をしなければ、モールの建設が始まらないのです。なんとか助けてもらえないでしょうか」と、このような提案を持ってきたのです。
もちろん、牧師は快諾して、裏山を削ってもらいました。そして、その跡地も建設会社の方でアスファルトを敷いてくれて、新しい教会堂の献堂式を無事行うことができたのでした。
これはまさに「山を動かすほどの信仰」を地で行ったのですね。神様が私たちの心の中に与えてくださる尊いビジョンや夢を、私たちがそれを祈りの課題として祈っていくなら、必ず神様が最善の方法と最善の時に実現してくださるということを、あらためて思わされる証しです。
私自身、これまでにたくさんのことを祈りの課題として祈ってきました。そして、神様が次々と実現してくださっていることに今更ながら驚いています。心に与えられるビジョンや夢は祈り続けていくならば、それは必ず実現します。そのような信仰に立っていこうではありませんか。
◇