7月20日付の「東京高裁、懲戒処分の裁量権の逸脱の有無・濫用に新判示」と題する本紙記事の反響の広がりを受け止め、感謝しております。
上記の記事に引き続き、8月5日には「都側が上告を断念、東京高裁判決が確定」した事実を、原告の聖公会信徒・岸田静枝さんと本紙のメールのやりとりや司法記者クラブの記者会見に出席することを許された本紙記者の直接の取材などを通して報じました。その際、憲法19条の思想・良心の自由や20条の信教の自由など、人間存在の最も深い内部に触れております。今回の経験を通し、聖書をメガネにこのような報道を続ける重要性を再確認し、励まされております。
一般の新聞報道でも、経験を積んだ司法記者が、しかもチームを組んで取り扱う裁判の経過・判決を伝える専門分野に属する記事を、本紙のような少人数の記者で運営しているインターネット新聞が、基本的に記者1人で取材し伝える現実では、当然直面する幾重もの制約があります。ですから私たちには何ができないか見極め、冷静に分をわきまえる必要があるのは当然です。
しかし、今までも本紙において、それなりの数の裁判記事を掲載している事実が示しているように、何もできないわけではありません。そして限界の中で、どの事例を取り上げるべきか、取材の対象を選ぶセンスを磨く。またインターネット新聞の利点を活用して、信頼関係に基づく取材方法や表現方法に創意工夫を重ねていくのです。
この厳しい制約の道を歩もうとするとき、聖書における「法」についての教えが基本的導きを与えてくれます。さらに、聖書の歴史に登場する裁判記述をメガネに、取材する裁判を認識・判断する特権を活用したいのです。
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