今回と次回は、性に関わる記事やカトリック教会に対する態度を含め、本紙の記事を、記者はどのような目的・動機(今回)で、また、いかなる態度(次回)で書こうと自覚しているか、報告したいのです。
毎月2回開く編集会議で、聖書をメガネに私たちの記事執筆の目的・動機について何回も確認し続けてきました。その場合、直接指針になっているのは、ローマ12章15節、「喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい」です。
取材の対象になっている方々や事柄を、取材記事の対象として、単に自分の目的の手段とする可能性を自覚し、これとの内なる戦いをなし続ける必要を認めるのです。
記事を書く私たちの本来の使命は、「喜ぶ者といっしょに喜」ぶことであり、「泣く者といっしょに泣」く役割であると受け止めます。ですから「喜ぶ者」の喜びを見逃さず、共に喜ぶ心の広さ、「泣く者」の痛みに共感する心の深さを求め続けねばならない。
そのような心で書かれた言葉が、記事として読者の心に伝達され、読者各自の生活と生涯において、「喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい」が、多種多様な事態で現実となる。
このような現実・事実が言葉・記事となり、その言葉・記事が新しい現実・事実を生み出すのは、言葉を用いて人の心に生きて働く、聖霊ご自身の働きによると、聖書をメガネに確信します。それで祈りつつ記事を書き、記事を書きつつ祈ります。
そして、どこかから送られて来る多額な資金が、生きた言葉や記事を産しなどしないことを熟知する読者、そうです、あなたから、祈りをもって読まれている、感謝です。
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