逆境を友とする
従業員もいろいろな都合があり、いつまでも当社で働くとは限らない。私がいた35年の間に本当に多くの人が従業員となり、また去っていった。採用するのに苦労した時期もあれば、容易な時もあり、人手不足なのに辞めていったり、従業員過剰なのに辞めなかったりと、社会の景気を反映して従業員の態度もさまざまであった。
簡単な履歴書を面接で採用し働いてもらうが、私にとってはあくまで会社という枠内でしか彼らを理解し得なかったように思う。いくら親しく交わっても、社長と従業員という関係での交わりであり、それを越えてその人物を知り得なかった。だから、本当の彼らを知ることができるのは、彼らが辞めるときであった。辞めるときには、何らかの利害の衝突ということが理由となることが多いし、辞めることで社長、従業員という枠が外れるからである。
社長、従業員という枠が外れてみても、立派な人だなあと思う人々が多くいる。そういう人々に共通しているのは、“足るを知る”というべきか、しっかりと自分自身が何者にも依存せずに自立している人々である。もちろん、幾多の労苦を経てこられたことは言動の端々から分かるけれども、そういう労苦が顔に反映されていない。ということは、苦労や逆境を敵対関係としてではなく、味方として処してこられたことが分かる。
ですから、あなたがたは偽りを捨て、おのおの隣人に対して真実を語りなさい。私たちはからだの一部分として互いにそれぞれのものだからです。(エペソ4:25)
この世知辛い世の中では、善きサマリヤ人(ルカ10:33~35参照)のような態度を常にとることは難しいかもしれない。しかし同時に、私たちはこういう心を持ってしか隣人となり得ないことも覚えておかねばならない。よく見極めれば、こういう態度をとるのがふさわしいか、ふさわしくないか分かるのかもしれない。とにかく神様は、私たちが善き隣人になるのも、神の栄光を表すためと言われているのである。
神のうちにとどまっていると言う者は、自分でもキリストが歩まれたように歩まなければなりません。(Ⅰヨハネ2:6)
あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。(ローマ13:9)
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米田武義(よねだ・たけよし)
1941年4月16日、大阪生まれ。大阪府立三国丘高等学校、国立静岡大学卒業。静岡県立清水東高校定時制教師を勤めた後、東北大学大学院、京都大学大学院(国土防災技術(株)国内留学生)で学ぶ。国土防災技術(株)を退職し、(株)米田製作所を継承する。2008年4月8日、天に召される。著書に『死に勝るいのちを得て―がん闘病817日の魂の記録―』(イーグレープ)。