夢は真実
私が見る夢の大半は、クモに関する夢か泥棒に関する夢であった。いろんな思いや、その日に経験して強く心に感じたことが、クモや泥棒の形をとって現れるのである。
クモは子どもの頃に別に怖い生き物ではなかった。が、ある時家族で外食をしている時、父親が笑いながら体験談で語った。昼寝しているとき、クモが顔の上を通った。そしてあまりよい気はしなかったという話だ。その後、意識はしていなかったが、いつの間にか、私はクモを恐れるようになっていた。
また泥棒も私にとっては、特別な印象を与えるものではなかった。が、ある時、結婚して間もない頃であったが、留守をしている間に泥棒が入り、1階の家具の引き出しは乱雑に開けられ、中身は畳の上に無造作に散らばっていた。康子と子どもたちは里帰りしていなかったので、私一人が2階で緊張して寝る日が続いた。数週間後、捕らえられた泥棒が警官と共に玄関に現れた。それ以降、泥棒も私にとって次第に意識する存在となった。
夢は何らかの姿形を伴って現れるので、いろんな姿形に乗り移って私たちのその日に受けた強い感情や、強い思いが現れる。従って、別々に強い印象を受けた姿形であり、感情や思いなのである。
以前は、クモや泥棒に乗せた私の感情や思いは、孤独であり、怒りや恐れであった。独りぼっちで寂しく不安であり、必死で逃げたり、激怒したりと、クリスチャンらしき心はどこにも見当たらなかった。
最近手術を受けた後であるが、私の見る夢が変わってきた。それは常に夢の中の私が独りぼっちでないということである。いつも誰かと共に、複数の人と共にいるということである。夢で見る感情や思いも、寂寥感(せきりょうかん)を覚えるものではなく、心が感じられるものが多い。私は神様がヤコブに与えられた平安を、私にも与えてくださったのだと感じている。
「見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない」(創世記28:15)
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米田武義(よねだ・たけよし)
1941年4月16日、大阪生まれ。大阪府立三国丘高等学校、国立静岡大学卒業。静岡県立清水東高校定時制教師を勤めた後、東北大学大学院、京都大学大学院(国土防災技術(株)国内留学生)で学ぶ。国土防災技術(株)を退職し、(株)米田製作所を継承する。2008年4月8日、天に召される。著書に『死に勝るいのちを得て―がん闘病817日の魂の記録―』(イーグレープ)。