人間はもともと感謝しない
人間は、不平不満・愚痴はしょっちゅう言うが、感謝は、よほど心掛けていない限り、あまり口に出さない。またその心もない。
「彼らは、神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなりました」(ローマ1:21)
これは、人間の性質を考えると当然といえる。人間の愛は、見返りを求める愛である。交換の愛である。イエス・キリストのような無償の愛ではない。
今日では、老人は優しさを求め、一方、詐欺師はそれにつけ込み、金をだまし取る事件が後を絶たない。封建社会では、美貌と引き替えに、地位や、金のある人が結婚を申し込んできた。今日でも地位のある人と、地位はないが金のある人との結婚は、しばしばニュースになっている。
全ては、愛と連なっていると限らないが、この世の愛は、かような交換の愛、金や地位や人間愛との互換で成り立っている。もともと生存競争の世であるから、互換性がなければ釣り合わず、成り立たないのは当然であろう。そして、釣り合いがとれないと、しょっちゅう不平不満が出るのである。
「自分を愛してくれる者を愛したからといって、何の報いが受けられるでしょう」(マタイ5:46)
人間はすぐ慣れる性質を持っている。すぐ慣れるからこそ、初め時間がかかったことでも、短時間でできるようになり、さらなる難しいことにも取り組むことができるようになり、今日の文化が築かれたのである。
しかし同様に、感謝し続けなければならないことに対しても、すぐ初心を忘れて慣れてしまい、当たり前と考えてしまうところがある。そして、さらなることを求め始め、それが与えられないと不平不満が湧き上がってくる。
文化の向上、技術革新などには良い性質であっても、感謝という点に関して、人間の性質はあまり良いといえないかもしれない。私たちはしょっちゅう刺激を求め続けるから、この要求を満たすのは大変である。
「・・・あなたがたが主に対してつぶやく、・・・あなたがたのつぶやきは、この私たちに対してではなく、主に対してなのです」(出エジプト記16:8)
以上、人間の持っている二つの性質を挙げただけでも、人間そのままの性質をもっては、いかに感謝することが難しいかということが分かる。
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米田武義(よねだ・たけよし)
1941年4月16日、大阪生まれ。大阪府立三国丘高等学校、国立静岡大学卒業。静岡県立清水東高校定時制教師を勤めた後、東北大学大学院、京都大学大学院(国土防災技術(株)国内留学生)で学ぶ。国土防災技術(株)を退職し、(株)米田製作所を継承する。2008年4月8日、天に召される。著書に『死に勝るいのちを得て―がん闘病817日の魂の記録―』(イーグレープ)。