信仰に応じて行う
私たちは、この世で活動し仕事をしていると、時には思い切って行動したり決断したりしなければならない。逆説的になるようであるが、こんな時でも決して無理をしない、背伸びをしない姿勢が大切である。ありのままの自分が必要である。
こういう決断をするときには、自分自身の動機を探り、自分自身でそれなりに納得しておかなければならない。自分自身が理解し悟り、その思いが自分自身のものとなっていなければならない。
決断すべき新しい思いが自分自身と一致し、自分自身のものとなって初めて、無理なく行動ができる。本当の自分、本心で行う自分であってこそ、充実した思いで決断、行動できる。
「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい」(ピリピ4:6)
こういう思いは、年齢や成長によって変わるかもしれない。恐らく変わることが多いと思う。以前には充実した思いであったが、後に振り返ってみると、軽く感じられたりすることが多々ある。私たちは社会の中で生き、私たちの体や思いも時々刻々変化しているから、神の目から見て、良くなったり悪くなったりしていると思う。
私たち自身では分かりにくいから、その時々で、自分自身の動機を神の前にさらけ出し、悟りを得させてもらうことである。神より与えられた悟りに基づいて、その時その時、決断、実行すべきである。これは、私たちの信仰に応じて何事も行いなさいということになるのだろう。
私たちは、与えられた恵みに従って、異なった賜物を持っているので、もしそれが預言であれば、その信仰に応じて預言しなさい。(ローマ12:6)
行動や決断は、個人個人のものである。個人個人とその思いが一致していないならば、いくらその行為が第三者から見て立派であっても、神は喜ばれない。神が喜ばれる行為は、総合的に見て、自分自身に正直な自分が行う行為であり、自分自身が分裂していたり背伸びしていたりして、まだ十分納得していない段階で行う行為は、良しとされない。
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米田武義(よねだ・たけよし)
1941年4月16日、大阪生まれ。大阪府立三国丘高等学校、国立静岡大学卒業。静岡県立清水東高校定時制教師を勤めた後、東北大学大学院、京都大学大学院(国土防災技術(株)国内留学生)で学ぶ。国土防災技術(株)を退職し、(株)米田製作所を継承する。2008年4月8日、天に召される。著書に『死に勝るいのちを得て―がん闘病817日の魂の記録―』(イーグレープ)。